五輪汚職「高橋治之容疑者」の実弟は資産1兆円のバブル紳士 棺の中に“あんぱん4つ”の哀しさ

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カツ丼食べたい

 ただ、リゾート地での遊びとなると、高橋はからっきし興味を示さず、ハワイのホテルにA氏と泊まった際も、着替えを持っておらず、黒いスーツでビーチをうろついていたという。

「一旦部屋に戻ったんですが、『疲れるよね』と。社長の口癖でした。やがて『腹減った。カツ丼食べたい』と言い始めて、料理法をシェフに英語で説明して作ってもらいました」

 オシャレにも興味がなく、海外出張でも小さなボストンバッグ一つ。下着やシャツはホテルで手洗いし干していた。スーツは銀座であつらえたが、腕時計は国産の1万数千円のもの、車もクラウンと地味だった。

「ホテルに関していえば、宝石を持つような感覚だったと思います。いいものは値上がりの仕方もすさまじい。大金を動かす快感が好きだったのでしょう」(A氏)

 しかしバブルが崩壊し、資金の流れが滞ると、たちまちイ社は行き詰まってしまう。90年暮れ、長銀の管理下に入り、超一流ホテルなどがバナナのたたき売りのように、安値で売り飛ばされた。B氏の回想。

「高橋は少し待てば必ず上がるからと抵抗はしましたが、勝ち目はありません。取締役会は銀行関係者で牛耳られていましたからね。売られたホテルやリゾート施設は、いまでもかなりの高値がついている。もったいないことをしました」

 93年7月、長銀は支援打ち切りを宣告。ならばと安全信用組合や自ら理事長を務める東京協和信用組合からさらに巨額融資を引き出したが、焦げ付かせ、95年6月に2信組への背任容疑で逮捕される。

 B氏が、再起を期す高橋から連絡を受けたのは2004年3月。港区の草月会館に事務所を構えていた。

「フォーシーズンズに移ったリージェントの株を譲ってもらう」と意気軒昂で、香港に飛んで小規模なホテルを足がかりに復活を目指していた。B氏は言う。

「良質なホテルを作ろうとして資金が続かず他人の手に渡る。ホテルとは人の栄枯盛衰を映すように、オーナーが代わるのが宿命です。ただ、高橋は悔しかったんだと思う。でもね、あの頃、彼には手持ちの資金はなかった。あるとき、クレジットカードありますかと私に聞いてきたのです。仕方なく、キャッシングで10万円引き出して渡しました」

 翌05年7月、くも膜下出血で急逝。棺桶の中には、4つのあんぱんが入れられていた。イ社時代から、美食家でもなかった高橋が、社員によく買って来させたのが木村屋のあんぱんだったという。1兆円の資産を持った男があんぱん4つを携えてあの世へ行く。これもバブルの皮肉だろうか。

デイリー新潮編集部

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