小椋久美子が明かす「オグシオ」結成秘話 「こんなすごい人と肩を並べていいのか」と苦悶した時期も(小林信也)

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話せる余白を残す

 三洋電機で本格的にペアを組み始めて2年目、二人は大きな壁にぶつかった。

「怖いもの知らず、勢いでいけていたのに、急にスランプに陥った。ダブルスがわからなくなったのです」

 どん底から這い上がるきっかけは、「二人で話すようになった」ことだという。

「個々に自分のできることを出すだけではつながりができません。自分の配球の甘さ、パートナーが仕掛けにいくタイミング、すべてを理解し合って、流れを作ってこそ相手に向かっていける。それがわかり始めたら、自然と言い方が変わりました。相手に話せる余白を残す、というか。パートナーに考えていることを話してもらう。話の隙間がなくなると、言いにくくなって、苦しくなる……」

 含蓄の深い言葉。ダブルスの経験を重ねて、小椋は人間関係の大切な機微や気遣いを学んでいた。

 最高の記憶は、デンマークオープン初優勝。

「直前の大会で私がありえないミスを続けて負けた。玲ちゃんは『いいよ、切り替えていこう』と言ってくれたけど、私はへこんで不安だった。それで試合直前まで練習して、やっと怖さが吹っ切れた。落ち込んだ後、開き直ると気持ちがシンプルになるんです。それで中国のペアにも勝って優勝できた」

 北京五輪では力が出せずメダルに届かなかった。腰の状態も悪かった。

「オリンピックでは完全に雰囲気に飲み込まれました。心と体がバラバラ。金メダルを獲った中国ペアと準々決勝で当たるドローを見た瞬間、二人で落ち込んだ。それじゃ勝てませんよね。いまの日本選手は、大きな舞台を何度も経験して、大観衆の前で堂々とプレーできる。頼もしいです」

 そのたくましさはオグシオが築いた人気と経験の上にあるものだ。

小林信也(こばやし・のぶや)
1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部等を経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』など著書多数。

週刊新潮 2022年9月8日号掲載

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