京都大学野球部を“闘う集団”へ…元プロの監督が「優勝する」と唱え続ける深い理由
電車の車掌として乗務した過去も
ソフトバンクを戦力外になった12年オフ、教員を目指して大学に入ろうと思っていたという近田に、報徳学園高時代の監督・永田裕治(当時、現日大三島高監督)から「大学はまた後でもいける。お前にはすごくいい経験になるから、こっちに行かんか?」と提案されたのが、社会人野球の強豪・JR西日本での“現役続行”だった。
14年には、創部80周年目での社会人野球の最高峰・都市対抗出場にも貢献。3年間プレーした後、16年からの3年間は、兵庫・三ノ宮駅で駅員を務め、明石車掌区に所属していた時には、電車の車掌として乗務していたこともある。
その当時の上司に、京大野球部OBがいたことから「見てやってくれ」という話につながっていく。当初は週一回、兵庫・西宮市内の社員寮から、京大の指導に通っていたが、その後、会社側から「地域貢献」の一環として、出向扱いとなった。20年9月から助監督、翌年11月からは監督に昇格した。京都市内に居も移し、指導に打ち込む日々を送っている。
「優勝」という前提は変えてはいけない
「ずっと言っているんですけど、勝負事なんで、2位から6位まではどこでも一緒。トップを獲らないと、勝負事って面白くない。そのために勝負事をやっているし、トップを獲らないのなら、僕が監督をする必要もない。メディアの方々にも『勝ったらいいですね』って一時期言われていましたけど、1位じゃなくなった時点で、僕らは負けです。優勝以外には、興味はないんですよ。周りの人が『Aクラスに入ったらすごいね』とか言うのは、全然いいんです。でも、僕らが見失うというか、勘違いじゃないですけど『優勝』という前提は変えてはいけない。そこは強調しますね。彼らは、優勝したことがないんで」
だから、ぶれない。『勝つ』『優勝する』と、近田は本気で唱え続けるのだ。
「僕って、監督ではあるんですけど、学校の先生ではない。教育者じゃないんで、最低限のことはやりなさいって言いますけど、『考える』というところでは大学生なんで、自分らで考えてくれたらいい。僕が一から、全部導く必要ない。そこは高校野球とはまた違うかなと思います。監督という人が、熱意じゃないですけど、目標を見失って、ちょっと油断というか、おごりみたいなのが出たら絶対に勝てない。そういう意味では、めちゃくちゃしんどいですよ。楽しそうに見えるのもありますけど、スキは見せられないです」
22年秋季リーグの開幕は、同志社大学との対戦からだった。9月3、4日の2試合は、いずれも完封負けで、惜しくも勝ち点を落とした。それでも初戦の失点は2、2試合目は4。接戦には持ち込めている。
『優勝』を目指す戦いは、まだまだ続いていく。32歳の若き指揮官が、京大の“持てる力”を巧みに引き出し、闘う集団へと変えていくそのプロセスに、これからも注目していきたい。
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