京都大学野球部はなぜ強くなったのか? 元ソフトバンクの近田怜王監督が明かす“変革の秘密”
京大歴代最高記録タイ
東の東大と並ぶ、西の“頭脳の最高峰”ともいえる存在に「京都大学」の名を挙げることに異論を唱える人たちは、恐らくいないだろう。
その秀才軍団が今、野球で大きな注目を浴びている。
【写真】全部員の名前が背中にプリントされたTシャツを着る京大・近田怜王監督
1982年に、旧・関西六大学連盟が分裂、リーグ再編により、京大をはじめ、近大、立命大、関西学院大、関西大、同志社大の6校による「関西学生野球連盟」が発足した。以来、その中で唯一の国立大である京大は、残念ながら「最下位」が半ば定位置。5位になったのは5度だけで、最高順位も2019年秋の4位。リーグ優勝はおろか、3位以上のAクラスに入った経験すらない。
ところが、2022年の春季リーグ戦で、その図式が一変しそうになった。京大が、開幕カードで21年秋の優勝校・関大を相手に2勝して勝ち点を挙げると、さらに立命大からも02年秋以来、20年ぶりとなる勝ち点を奪い取ったのだ。
リーグ戦最終試合となった5月24日の近大3回戦に勝てれば、初の3位になる可能性があったのだが、敗れて最終的には5位。それでも「リーグ戦5勝」は4位に入った19年秋以来、「勝ち点2」も00年と19年秋に続く3度目で、いずれも京大歴代最高記録タイにあたる。
この大躍進を導いたのが、21年11月から京大の監督を務めている元プロ野球選手・近田怜王(32)だ。兵庫・報徳学園高時代に3度の甲子園出場を果たした本格派左腕は、08年にソフトバンクからドラフト3位指名を受けて入団。4年間のプロ生活では、打者転向も経験しながら、最終的には1軍出場を記録できず、プロの世界を去っているとはいえ、その歩んできたキャリアは、まさしく、野球界の本道でもある。
甲子園出場など、野球界の大舞台とは縁遠い京大生を、野球界の本道を歩んできたエリートが、いかにして、闘う集団へと変革していこうとしているのか。そのキーワードは「目指すのは優勝」という、ぶれない大前提にある。近田と京大の新たなチャレンジを、2回にわたってお伝えしていく。(文中敬称略)
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野球界は、絶対的な縦社会。先輩の、そして監督の言葉を無条件で受け入れるのは、半ば当たり前のような世界でもあった。近田も、その「理屈じゃない」という、独特のヒエラルキーの中にいた。
「僕もどちらかと言えば、高校の時には、シンプルに『走る』ことが嫌いでした。それがあったんで、結局は『走らされている』っていう思いになるじゃないですか? だから、ずっと思っていたんです。『なんでこれ、走っているんだろう?』って。正直、高校の頃からそうしたモヤモヤはあったんです。『この練習は、何のための練習なんやろ?』と。それは、やらされているからこそ、そう思うんじゃないですか」
報徳学園高時代には、エースとして、さらに打線の軸として、まさしく二刀流でチームを引っ張ってきた。チーム内でも、一目置かれる存在でもあった。ある日、近田が「体幹トレーニング」に取り組んでいた時だったという。
「おい、走れ!」
あるコーチに、頭ごなしにそう命じられたのだという。その時、近田はかねてから抱いていた疑問をぶつけたという。
「なんで体幹トレーニングはダメなんですか? 僕は必要だと思ってやっているんです」
「いや、関係ない。お前は体力がないから走れ」
その返答は、まさしく、近田を落胆させるものだった。
「答えがなかったんです。僕の場合は、一応は聞きました。でも、聞いても一緒だと。話す必要もないな、無駄だったから、もういいわ……と。結局、その時に、すごく理不尽だと思ったんです」
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