進む「開かれた鉄道」 上野駅のディスプレイが“ガタンゴトン”と表示するワケ
今夏に実施された参院選は、ロシアのウクライナ侵攻に端を発した安全保障問題や憲法改正の是非のほかエネルギー問題、物価高対策、賃上げ、アフターコロナなどが争点になった。
結果は周知の通りだが、それらの争点とは別に障害者やLGBTQといったマイノリティへの政策を訴える候補者も目立った。
自民党から再選を目指して出馬した今井絵理子候補は、ダンスボーカルユニットのSPEEDのメンバーとして活躍。そうした来歴から、タレント候補と見られる向きが強い。今井候補は息子さんが聴覚障害者で、そのために手話を習得。そこから政治家を志した。2016年の初出馬時から、街頭演説などで障害者支援に取り組みたいと繰り返し述べている。街頭演説は手話を交えながらスピーチ。再選出馬となった今回は自身の演説だけではなく、応援弁士の演説も手話で同時通訳していた。
東京選挙区から無所属で出馬した乙武洋匡候補は、著書『五体不満足』のベストセラーでも知られるように四肢欠損というハンデを負う。乙武候補は障害者だけではなく、LGBTQや外国にルーツを持つ人たちなどに対する政策も掲げていた。
乙武候補は街頭演説のために特別仕様の選挙カーを用意。身体的なハンデはあっても、他候補と遜色のない選挙戦を展開した。
両者はともに、「週刊新潮」によって異性との不適切な関係を暴かれた過去を持つ。プライベートで目立ってしまうのはタレント候補と受け止められる人たちの宿命でもあるが、逆に訴える政見・政策も通常の議員・候補者よりも届きやすい。訴えた政策がすぐに実を結ぶことはなくても、その大きな影響力は社会を変える一石になることは間違いない。
乙武候補は当選できなかったが、選挙戦で繰り返し訴えた政策がまったく無意味になるわけではない。訴えた政策は少しずつ社会へと浸透するだろう。ほかの政治家が、その影響を受けることだってある。
政治に無関心で生きることはできても、政治と無関係で生きることはできない。私たちの暮らしは、すべて政治の影響下にある。政治が障害者支援やバリアフリーに取り組まなければ社会は変わらない。
平成の30年間で、駅のバリアフリー化は格段に進んだ。これは1994年に制定されたハートビル法と2000年に制定された交通バリアフリー法が作用したことによる。2つの法律は、2006年に統合・拡充されてバリアフリー法へと発展的に姿を変えた。政治が障害者支援やバリアフリーの概念を広め、市井の人々の考えを変革させていったのだ。
エキマトペ
2006年にバリアフリー法が施行されてから、15年以上が経過した。すでに多くの駅ではエレベーターやエスカレーターが整備され、階段のような段差部分にはスロープが設けられた。
視覚障害者がホームから転落しないように白線は点字ブロックに変えられ、近年はホームドアの整備も急がれている。ホームドアは酔っ払いなどの転落が目立ったことを端緒とするが、副次的に視覚障害者が安全に利用できる環境を整えることにつながった。
車両面では、車イスやベビーカー利用者を対象にしたフリースペースの拡充。あらゆる鉄道シーンにおいて、バリアの解消は進められている。
それゆえに、これ以上のバリアは存在しないように思うかもしれない。しかし、鉄道業界は誰にでも使いやすい鉄道を目指して、あらゆる方面からバリアの解消を続ける。
東京・上野駅は、1日に約37万人が乗降する日本屈指のターミナル駅として知られる。その1番線と2番線、つまり京浜東北線・山手線のホームに見慣れない物体が設置されたのは6月15日のことだった。
「これは、駅のアナウンスや電車の音といった音を文字や手話で視覚的な情報で表現する“エキマトペ”という装置です。このディスプレイでは、電車が入線する音や停止する音といったオトマトペを文字と手話に変換して表現しています。それらオトマトペを視覚的に表現することで、聴覚障害者が電車の接近などを察知することができるようになります。それは、電車が接近してきたら点字ブロックの内側に下がるなどの安全確保にもつながります」と話すのは、エキマトペを開発した富士通株式会社広報IR室の担当者だ。
エキマトペは富士通とJR東日本、大日本印刷の3社が共同で開発した。開発のきっかけになったのは、神奈川県川崎市の市立聾学校で実施された“未来の通学をデザインする”というワークショップだった。
同ワークショップは3社が東京五輪のパートナー企業だったことから、「何か一緒にやれることはないだろうか?」という話から実現。ワークショップでは、生徒から「電車の音が聞こえないから、それが原因で危険を感じたことがある」という意見が出た。
富士通は、音を身体で感じるオンタナという機器を開発している。エキマトペは、その技術を活用して誕生した。
駅には文字や音声による情報が溢れている。それらで十分に安全は確保できると考えるのは、健常者の発想に過ぎない。視覚障害者や聴覚障害者は、健常者よりも得られる情報は限定的になる。情報が欠けることで駅やホーム、車両といった鉄道空間は、一気に危険度が増す。
不特定多数の人が利用する鉄道だから、鉄道事業者が事故リスクを最小限に抑えようと努めるのは自然な話だ。他方で、障害者に対する配慮を厚くすると「障害者優遇」「逆差別」といった声が出る。しかし、事故を減らすことは定時運行にもつながる。時間通りに電車が発着することは健常者にもメリットがある。
なにより、健常者だって事故や病気で身体が不自由になることはあるだろう。それが仮に一時的な怪我や病気だったとしても、不便を感じながら鉄道を利用することは心もとない。
「当初、エキマトペは山手線の巣鴨駅に設置されていました。これはモニターの設置場所が確保できるといった理由からです。改めて上野駅に設置したのは、『エキマトペを見る人が1か所に固まってもホームが広いので危険にならない』ことにくわえて、『上野公園があり年齢・性別・国籍など幅広い層が利用し、しかも定期的な乗降客だけではなく来街者などのたまにしか利用しない人もいる』ことが理由です」(富士通株式会社広報IR室担当者)
現在、エキマトペは屋外でも正常に稼働するのか、雑踏の人流を邪魔せずに安全に設置できるのはどういった場所なのかを調査する実証実験の段階にある。
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