「香川照之」遺失利益は数十億円レベル 自分を捨てた父・市川猿翁への屈折した愛情
「父と子」という映画にとにかく弱いのである
今回の香川の行状について、父・市川猿翁への屈折した愛情が関係しているのではないかとの指摘は少なくない。ここからは、その点を改めて見ておくことにしよう。
香川はかつて自著(『日本魅録』)に、〈テーマが「父と子」という映画にとにかく弱いのである〉〈物心付いた時には私には父親がいなかった。喪失感はなかった。最初からないものに喪失感は感じない〉
と記していたことがある。いわゆる芸能人二世とは異なる彼の歩みは、壮絶ともいえるものだった。
香川は1965年、歌舞伎俳優の父・市川猿之助(82)=現・猿翁=と女優の母・浜木綿子(ゆうこ)(86)との間に生まれた。
しかし、猿之助は間もなく家族を捨てて家を出てしまう。
香川が2歳の時に離婚は成立し、彼は浜に引き取られた。浜の本姓は「香川」。28歳の猿之助が向かった先は、44歳で人妻の舞踊家・藤間紫(むらさき)。藤間の夫は人間国宝で後に文化勲章も受章した六世藤間勘十郎だった。
猿之助が藤間紫の様々なサポートを受け、スーパー歌舞伎で世間の耳目を集め始めたちょうどその頃、香川は東京大学文学部を卒業し、役者の道を選択した。そして、1991年2月、24年ぶりに公演先へ父を訪ねたのだった。
あなたは息子ではありません
その時の模様は、「父・猿之助に会いに行った」というタイトルが付き、〈ぼくは今、本当の親子関係を理解していくために今年ほど重要な意味を持っていた年はなかったと思っている〉という書き出しで、婦人公論1991年8月号に仔細に綴られている。
その内容はあまりに絶望的なのだが、筆致はあくまでも冷静で、およそ四半世紀に及ぶ父の不在に喪失感がなかったということのひとつの証明になるだろうか。
ハイライトである父親の言葉は、こう書き起こされている。
〈ぼくはあなたのお母さんと別れた時から、自らの分野と価値を確立していく確固たる生き方を具現させました。すなわち私が家庭と訣別した瞬間から、私は蘇生したのです。だから、今のぼくとあなたとは何の関わりもない。あなたは息子ではありません。したがって、ぼくはあなたの父でもない。マスコミに、猿之助が父だとか、彼に会いたいとか言わないほうがよいでしょう。今後あなたとは二度と会わないけれど、そのことをよく心に刻んでおきなさい。何ものにも頼らず、少しでも自分自身で精進して、一人前の人間になっていきなさい〉
それから13年経って、今度は浜が同じく婦人公論の04年7月号に登場し、こう語っている。
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