「上智大生殺人事件」から26年 被害者の父親が語る「決して犯人逮捕をあきらめない」

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筑紫哲也に憧れ、ジャーナリストを目指していた

 あの日は朝から雨が降り続いていた。

 上智大学4年生だった順子さんは1996年9月9日夕、東京都葛飾区の自宅にいたところ、何者かに刃物で刺され、放火された。遺体は2階にある両親の和室で見つかった。口を粘着テープでふさがれ、首には複数の刺し傷があった。傷痕から小型刃物が使われたとみられるが、犯行に使われた凶器は見つかっていない。両手は粘着テープで、両足はストッキングでそれぞれ縛られ、遺体には布団がかけられていた。着衣に乱れはなく、死因は失血死とみられる。現場近くでは、レインコートを羽織り、傘をさして立っている不審な男の姿が目撃されていた。

 賢二さんは、こう悔しさを滲ませる。

「順子は事件の2日後、米シアトル大学の留学に向けて日本を発つ予定でした。筑紫哲也さんのファンで、筑紫さんがキャスターを務める『ニュース23』は毎晩欠かさず観ていました。将来はジャーナリストになりたかったのです。その順子がなぜ、何の恨みがあって、なぜ我が家だったのかと今も問い続けています」

遺族の胸中に押し寄せる不安

 発生当初から賢二さんの心の中で繰り返される「なぜ」――。その答えが明らかになる日は、果たして訪れるのだろうか。

 警視庁はこれまでに、捜査人員のべ11万4895人(8月31日現在)を投入し、順子さんの交友関係を中心に8000人以上から事情聴取した。しかし未だに犯人の特定には至っていない。

 賢二さんは、妻の幸子さん(76)とともに、毎朝晩、自宅の仏壇に手を合わせ、早期の事件解決を願い続けてきた。殺人事件被害者遺族の会「宙の会」(事務局・東京都千代田区)の会長としても活動し、殺人事件の公訴時効撤廃を訴え、2010年4月に成立した。その半年後には、空き地になっていた事件現場に消防団の格納庫、そして「順子地蔵」が完成した。だが、いつまで経っても犯人逮捕の一報が耳に入ることはなく、時代の移り変わりとともに賢二さんの胸のうちには不安がじわじわと押し寄せてきた。

「事件発生時は現場検証や事情聴取なども含めて警察との接点が毎日のようにありました。ところがそうした接点も徐々に減っていき、事件に関して警察に寄せられる情報も先細ってきました」

 警視庁によると、これまでに集まった情報は1662件(8月31日現在)。今年は16件と昨年を下回り、情報件数は減少傾向にあるという。有力情報の提供者に支払われる懸賞金は上限800万円だ。

 未解決事件の遺族は、捜査の進捗状況を警察から伝えられることがほとんどない。そのため捜査がどの程度進んでいるのか分からないまま、犯人逮捕を待ち続けなければならないのである。賢二さんが素直な気持ちを吐露する。

「本当に捜査をやっているのかと疑問に思うこともありました」

 過去には、別の事件で逮捕された犯人について、警察から顔写真の確認を求められる時もあったが、近年はそういうやり取りもなくなった。

「そりゃ26年も経てば、事件だって世の中から忘れ去られていきます。ただでさえ風化しかかっているのに、マスコミの方からの取材が少なくなればなおさら。それは我々遺族にとって大変残念なことです」

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