「ちむどんどん」は朝ドラ史上最も物議を醸した作品 観ていない方のために3分でストーリーを解説

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暢子が「独立宣言」

■第14週(7月11日~15日)「渚の、魚てんぷら」

 時代は1978年8月。鶴見で沖縄角力大会が行われた。智は「優勝したら暢子にプロポーズします」と、三郎らに宣言。それが和彦と愛に伝わる。智と対戦した和彦は懸命に戦う。

 それを見た愛は和彦の気持ちがもう自分にないことを悟り、別離の手紙を書く。

 智は大会で優勝。暢子にプロポーズするが、フラれた。和彦も暢子にプロポーズしたものの、返事は保留。暢子はそのまま沖縄に帰郷する。

■第15週(7月18日~22日)「ウークイの夜」

 和彦も取材で沖縄へ。遺骨収集活動を続けている嘉手刈源次(津嘉山正種)の話を聞く。優子も活動に協力していた。

 帰宅した優子は4兄妹に初めて自分と賢三の過去を明かす。戦前の優子は那覇の「与那城食堂」の娘だった。民謡歌手を目指していた賢三は食堂に客として訪れていた。

 その後、賢三は房子のいる鶴見に出稼ぎに行き、三郎と親しくなる。やがて賢三は沖縄に戻り、与那城食堂で働く。そのうち戦争が始まり、賢三は兵として中国へ。優子は那覇の空襲によって1人きりになった。

 復員した賢三は鶴見へ行き、房子の屋台を手伝うが、沖縄に一時帰郷の予定で戻る。そのまま鶴見には帰らなかった。1人きりになっていた優子のためだった。2人は結婚した。

 両親の過去を知った後、暢子は和彦にプロポーズ。和彦は快諾した。

■第16週(7月25日~29日)「御三味(うさんみ)に愛をこめて」

 和彦の母・重子(鈴木保奈美)が初登場。和彦と暢子は結婚の了承を求めるが、「許しません」の一点張り。暢子は屈せず、手作り弁当を届け、認めてもらおうとする。

■第17週(8月1日~5日)「あのとき食べたラフテーの」

「フォンターナ」を勝手に辞めた元料理人・矢作知洋(井之脇海)が権利証を持ち出し、それが悪徳企業に渡る。代表の権田正造(利重剛)は房子に金銭を要求した。房子が拒むと、嫌がらせを始めた。

 トラブルを解決したのは三郎。権田は戦後のシベリア抑留時代、三郎の世話になっていた。

 三郎と房子が戦前、恋人同士だったことが明らかに。周囲の反対により、房子が身を引いた。

■第18週(8月8日~12日)「しあわせのアンダンスー」

 重子に会いに行った賢秀と良子、そして房子の後押しもあって、重子が和彦と暢子の結婚を許す。

 披露宴会場は「フォンターナ」。暢子が「独立して沖縄料理店を開きます」と宣言する。

■第19週(8月15日~19日)「愛と旅立ちのモーウイ」

 賢秀が我那覇とまたも再会。今度はドリンク剤のマルチ商法に誘われ、これに乗る。

 だが、房子から問題点を指摘されたことなどから、賢秀は辞めることを決める。ところが違約金200万円を要求され、それを払うまで拉致されてしまう。

 和彦が付き添い、暢子が開店資金だった200万円を持って賢秀を救いに行くが、最後は暴力沙汰になってしまった。

 資金を失った暢子は店をあきらめようとしたものの、良子と石川が海外旅行用に貯めていた資金を提供してくれた。店名は「ちむどんどん」に決めた。

 一方、和彦が暴力沙汰に巻き込まれたことが東洋新聞社内で問題になってしまう。和彦は依願退職した。

■第20週(8月22日~26日)「青いパパイアを探しに」

 暢子が妊娠2カ月であることが分かる。房子は「店の味を任せられる料理人を雇うこと」と命じた。

 そんな時、暢子は鶴見で矢作と再会。矢作は食い逃げで捕まっていた。暢子は矢作に店を手伝ってもらうことにする。

■第21週(8月29日~9月2日)「君と僕のイナムドゥチ」

 時代は1979年。歌子が「ちむどんどん」を手伝うために上京。ところが、「あまゆ」の主人・順次(藤木勇人)が「智は暢子ちゃんにフラれたから歌子ちゃんに乗り換えた」と軽口を叩いているのを聞いてしまい、傷つき、拗ねた。

 直後に智がトラックに跳ねられ、重体という話が伝わる。事実は跳ねられそうになったが、よけて、頭を軽く打っただけだった。誤報の発信源も順次だった。

 猪野養豚場の豚肉の売り込みのため、東京に来た賢秀と清恵が「フォンターナ」へ。賢秀はプロポーズめいた言葉を口にしたところ、なぜか清恵の昔の男・涌井(田邊和也)が現れる。見るからにワル。清恵は逃げ出した。

 同9月。「ちむどんどん」開店。当初は友人・知人が来てくれて大繁盛だったが、2カ月が過ぎたころには閑古鳥が鳴く――。

 さて、どんな結末が待っているのか。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。大学時代は放送局の学生AD。1990年のスポーツニッポン新聞社入社後は放送記者クラブに所属し、文化社会部記者と同専門委員として放送界のニュース全般やドラマレビュー、各局関係者や出演者のインタビューを書く。2010年の退社後は毎日新聞出版社「サンデー毎日」の編集次長などを務め、2019年に独立。

デイリー新潮編集部

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