「ちむどんどん」は朝ドラ史上最も物議を醸した作品 観ていない方のために3分でストーリーを解説

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好きだけど、きれいさっぱり諦める

■第6週(5月16日~20日)「はじまりのゴーヤーチャンプルー」

時代は1972年5月。暢子は賢秀が所属するボクシングジムを訪ねる。だが賢秀は逃げ出していた。送られてきた60万円はジム関係者から借りたものだった。

 暢子は賢秀を探すため、ジム関係者の話を基に横浜市鶴見区へ。しかし賢秀は見つからない。途方に暮れてしまい、三線の音色がしている家を訪ねる。鶴見の沖縄県人会会長・平良三郎(片岡鶴太郎)の家だった。

 暢子は三郎とその妻・多江(長野里美)に身の上話をした。三郎は賢三のことを知っているらしい。

 三郎は就職先を紹介してくれた。「フォンターナ」だった。三郎が書いた紹介状には暢子が賢三の娘であることが書かれていたものの、房子は何も口にしなかった。

 暢子の下宿先が鶴見の沖縄料理居酒屋「あまゆ」の2階に決まる。

■第7週(5月23日~27日)「ソーミンチャンプルーVSペペロンチーノ」

 智(前田公輝)が上京。独立を前提に食品卸の会社で働き始める。

 煮え切らない態度を続けていた良子の恋人・石川博夫(山田裕貴)が、やっとプロポーズ。2人は結婚する。

■第8週(5月30日~6月3日)「再会のマルゲリータ」

 時代は1973年10月。暢子は房子から東洋新聞社でボーヤ(編集補助員)として働くように命じられた。一般教養を身に付けるためだった。

 暢子は同社の学芸部記者になっていた和彦(宮沢氷魚)と再会する。その恋人・大野愛(飯豊まりえ)とも知り合う。なぜか和彦の下宿先も「あまゆ」の2階になる。

 一方、賢秀は猪野寛大(中原丈雄)、清恵(佐津川愛美)父娘のいる千葉の猪野養豚場で働いていた。歌子は運送会社に就職する。

■第9週(6月6日~10日)「てびち!てびち!てびち!!」

 時代は1974年冬。賢秀は再会した我那覇に誘われ、「紅茶豆腐」を売り始めた。さらに我那覇からCM費用を用立てて欲しいと頼まれると、優子から15万円借り、渡す。だが、また騙し取られた。

■第10週(6月13日~17日)「あの日、イカスミジューシー」

 時代は1976年秋。歌子は体調不良が続き、会社を辞める。優子は歌子に大病院で検査させようと思い、2人で上京。だが、悪いところは見つからなかった。

■第11週(6月20日~24日)「ポークとたまごと男と女」

 時代は1977年6月。出産を機に教師を辞めていた良子は復職を考えるが、石川家は反対する。

■第12週(6月27日~7月1日)「古酒交差点」

 時代は1978年春。和彦と愛が、愛の両親と一緒に「フォンターナ」を訪れる。結婚に向けての打ち合わせだった。暢子は動揺した。

 一方、智は独立し、自分の会社を持った。それが自信となり、暢子に対し2人の将来の話をした。今度はそれを耳にした和彦が狼狽した。

■第13週(7月4日~8日)「黒砂糖のキッス」

 暢子は自分が和彦を好きだと自覚。愛に対し、こう告げる。「(ウチも和彦君が)好きだけど、きれいさっぱり諦める」(暢子)

 歌子は民謡歌手になることを決意した。

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