なぜ米空軍の訓練で「100年前の中国の地図」が使われる? 習近平の妄執の背景にある「国恥地図」
「中国人は世界の国民ではなくなってしまう」
さて、米軍の教材となった「中華国耻地図」だが、前述のように1929年発行の中華民国・河北省工商庁が製作したものだ。
よく見ると、地図の隅にある赤い枠の内側と地図上に、細かい文字で不平等条約の締結年、場所、内容などが記されている。地図の下部ぎりぎりに海南島が描かれているので、1929年当時は「中国領の南限は海南島」だと認識されていたとわかる。南シナ海まで領海意識が広がったのは、1930年代に入ってからだ。
欄外上部に「総理いわく」として、中華民国を建国した孫文の言葉が記されている。
右側は、「現在の中国は国際的な平等と自由を失い、すでに完全な独立国家ではない。人々はみな半植民地と言うが、私に言わせれば、全き植民地にすら及んでいない。(中略)中国の地位は高麗(朝鮮)や安南(ベトナム)よりも低いからだ」。左側は、「我々中国人の地位はこれほどまでに落ちぶれた。もしまだ国民が精神を奮わないならば、そして心を一つに協力し合い、租界と海事・領事裁判権を奪回し、一切の不平等条約を排除しなければ、我々中国は世界の国家ではなくなり、我々中国人は世界の国民ではなくなってしまう(つまり、中国は世界から消滅してしまう)」と記されている。
外国批判より「学ぶべき点が多い」とした孫文
調べてみると、どちらも1924年に孫文が発言した演説内容で、右側の言葉は、1924年11月19日、上海で記者会見したときのものだ。改めて会見記録を読むと、前後の文脈から「日本やイギリス、フランスの植民地支配は充実していて、福利厚生も行き届いている。(それに比べて)中国は植民地にも劣る劣悪な環境だ」と、外国を批判するより、むしろ「外国に学ぶべき点が多い」ということに重点が置かれているようだ。
一方、左側は、1924年11月25日、神戸の華僑歓迎会で行った講演の一節で、その3日後、孫文は神戸の旧制神戸高等女学校講堂で有名な「大アジア主義」の講演を行っている。「日本は西洋の覇道の番犬となるか、それとも東洋王道の干城(かんじょう)となるか」と、日本人に向けて強い警告の意味を込めたメッセージを残した。ついでに言えば、神戸の講演会を終えた孫文は、神戸から船で北京へ向かう途中、天津港で喀血(かっけつ)し、列車で北京へ運ばれた後、1925年3月、「革命未だならず」という遺言を残して肝臓がんで亡くなった。
[5/7ページ]