なぜ米空軍の訓練で「100年前の中国の地図」が使われる? 習近平の妄執の背景にある「国恥地図」
国恥地図とは何か
米軍が使用していたのは、「中華国耻地図」(中華民国・河北省工商庁、1929年発行)である。拙著に掲載した「中華国恥地図」(上海中央輿地学社、発行年不詳)と発行元は異なるが、地図自体は同じものだ。それに触れる前に、まず国恥地図とは何なのかについて簡単に説明しよう。
国恥地図とは、かつて中国が戦争で列強に奪われた領土、すなわち「国の恥」を示した地図だ。国境線は、台湾、沖縄、東南アジア諸国、中央アジア諸国など近隣18カ国を通り、南・東シナ海をほぼ囲い込んでいる。作られたのは1920~30年代の蒋介石が支配した中華民国時代で、小学校の教科書にも用いられた。
年表をご覧いただこう。「国恥」という言葉が最初にメディアに現れたのは1915年、日本が袁世凱・北京政府に「21カ条要求」を突きつけた時だとされる。袁世凱が要求を受け入れたことに国民が猛反対し、新聞が「国の恥」だと書いた。
次いで1929年、蒋介石・国民政府は八つの「国恥記念日」を定めた。現在では法的に存在しないが、記念日は何度か変遷を経た結果、今でも中華人民共和国では、共通認識として四つの「国恥記念日」が定着している。
5月3日(28年、済南事件[山東出兵])、5月9日(15年、21カ条要求)、7月7日(37年、盧溝橋事件)、9月18日(31年、柳条湖事件、満州事変)だ。これらはいずれも日本と深い関わりがあるが、今日、その日が何なのかを言える日本人はあまり多くはないだろう。
文字が読めない国民に愛国教育を行うために
1928年当時、中国国民の識字率は20%にも満たず、人々は政治に疎く無関心だった。そのため政府は国民に「愛国と雪辱の精神」を教え込もうと、官製カルチャーセンターのような「民衆学校」や「民衆教育館」を建設し、ひんぱんに講演会や展示会を開いて国恥教育を広めた。
しかし、いかんせん国民は文字が読めないので、文字教材は役に立たない。そこで考えついたのがビジュアル化した国恥地図だった。講演会で演壇に掲げる大地図、ポスター、各種国恥グッズ、新聞や雑誌の付録、マッチ箱のデザインに至るまで、多数の国恥地図を製作して広めた。
また、第1次全国教育会議(28年)を開いて、小中学校に国恥教育を取り入れることも決定した。私が古書店から入手した「中華国恥図」は、地理教科書「小学適用 本国新地図」(世界輿地学社、33年)にあるもので、当時作られたものだ。地図には破線の上に重ねて、太い赤線で「旧時国界(きゅうじこっかい)」(過去の領土)が示されている。北はロシアのサハリンやシベリア、モンゴル各地、西はカザフスタンやアフガニスタン、南はマレーシアやシンガポール、南シナ海から台湾、沖縄まで囲い込み、当時の領土の約2倍の大きさだ。これらは清朝時代の藩属や朝貢国だった国々で、「大清帝国の支配地域」だとみなしている。
だが、日本についていえば、沖縄(琉球)は確かに清朝時代に朝貢していたが、中国の領土として支配された歴史的事実はない。南・東シナ海にしても、かつて清国の影響力が強かったり、中国の漁民が漁をしたりしていたという理由だけで「支配地域」だとするのは、論理の飛躍も甚だしい。百歩譲って戦前ならそんな考え方もあっただろうが、21世紀の国際社会では到底認められないことだ。
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