入閣を果たした二人の「西村」のライバル関係 同期だが対照的な歩みとは
このほど入閣した、二人の「西村」が微妙な緊張関係にあるという。西村康稔経済産業相(59)と、西村明宏環境相(62)のことだ。
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政治部デスクが言う。
「二人は初当選が2003年の同期で、同じ安倍派の所属。“ダブル西村”と呼ばれていますが、政治家としての歩みは対照的です」
その端的な例が安倍晋三氏の死後の対応だ。銃撃事件が起きた7月8日、派閥の事務総長だった康稔氏は、すぐに大学病院に駆け付けた。その後は富ヶ谷の私邸で昭恵夫人らと弔問客に応対し、増上寺での通夜・葬儀では裏方を取り仕切った。
閣僚経験者が振り返る。
「あの時、明宏さんは“またアイツが目立とうとしている”と、不快感をあらわにしていてね。今度も康稔さんが経産相で入閣すると聞くと、“事務総長なんだから後輩に回せばいいのに”と揶揄していたよ」
対照的な経歴
3度目の入閣となった康稔氏に対し、明宏氏は今回が初入閣。二人のコントラストは経歴の面でも鮮明だ。
康稔氏は兵庫県の出身で、東大ではボクシング部に所属。通産省から政界に転身し、当選回数は7回。義父の吹田あきら元自治相は安倍氏の祖父・岸信介元総理に師事し、地元で“国家老”と呼ばれるほどの人物だった。
先の政治部デスクの解説。
「康稔さんが無所属の新人として立候補した00年の総選挙では、対抗馬に自民党の公認候補がいたのに、無役だった安倍氏がとある集会に駆け付けた。結果は落選でしたが、康稔さんには“この時から安倍氏と行動をともにしてきた”との自負があるようです」
一方の明宏氏は福岡県出身。早大大学院を経て、三塚博元蔵相の秘書に。3度目の選挙で落選しており、当選回数は康稔氏より少ない6回に甘んじている。
「三塚氏は安倍氏の父・晋太郎元外相を支えた“四天王”の一人。当時、安倍氏は父親の秘書を務めており、その関係で明宏氏と親しくなったそうです。晋太郎氏の死後、三塚氏は安倍派の後継を巡って加藤六月元農林水産相と対立。その際、吹田氏は三塚氏ではなく加藤氏を支援しています」
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