香川照之の性加害問題を女性問題に甘い梨園はどう見たか 関係者は「市川猿之助が救ってくれる」
意外だった電撃襲名
香川は小学校から名門私立校の暁星学園で学び、高校を卒業すると東京大学文学部に進んだ。別に役者の道を目指さなくとも、食うには困らなかったはずだ。
「役者という職業を選んだ理由として、ご本人はインタビューなどで『他にやりたいこともなかったので“親の七光り”を利用した』などと、やや韜晦(とうかい)気味に答えています。いずれにしても、東大を卒業した香川さんは芸能界の道に進みましたが、歌舞伎の世界からデビューすることはありませんでした」(同・関係者)
歌舞伎ファンや一部の芸能マスコミは「父親との関係が複雑なのも原因だろう」と受け止めていた。
ところが2011年、香川が九代目市川中車を襲名し、更に長男も五代目市川團子として、それぞれ歌舞伎界入りすることが発表された。
「長男は歌舞伎役者にしたいという香川さんの熱意が理解され、いわば“中途入社”が異例の判断で認められました。それでも最初の頃は、歌舞伎界から相当な反発がありました」(同・関係者)
香川の電撃襲名で、市川中車の名跡を継いでもおかしくないと見られていた複数の役者が、弾き出されてしまったのだ。
コロナ禍の影響
「俳優・香川照之の演技力は高く評価されていますが、歌舞伎役者としては何の修行も積んでいません。名優とされる香川さんであっても、『歌舞伎の演技力』という点では大きな懸念があったのです」(同・関係者)
実際、最初の頃は、中車の演技が酷評されたこともある。だが、香川=中車は愚直に出演を重ねた。
「ひたむきに努力を重ねる香川さんの姿に、うるさ型の歌舞伎ファンや役者の諸先輩からも、『真面目にやっていることは認めるべきだ』と評価する声が高まっていったのです。ところがコロナ禍によって、そうした流れも一気に変わってしまいました」(同・関係者)
緊急事態宣言が発令されると、歌舞伎座の公演は中止となった。やっとのことで上演が再開されても客足は鈍り、座席制限の影響もあって興行は厳しいものがあった。結果、役者のギャラは減額されたという。
「公演が不安定な状況になり、香川さんも歌舞伎の仕事のスケジュールが組みにくいということはあったと思います。その結果、市川中車として存在感を示すことが、なかなかできませんでした」(同・関係者)
ところがその頃になると、出演したテレビドラマが大評判になるなど、香川は正真正銘の売れっ子になっていた。
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