五輪汚職事件の最中に「バッハ詣で」、JOC「山下康裕」会長に大義はあるか
テロのリスク
スポーツ界は多くを税金に依存し運営してきた。モスクワ五輪ボイコットの教訓を経て、一度は政府からの独立を果たしたが、実質的には政財界の支配下に逆戻りしている。スポーツはほとんど主体性を持っていない。だから、山下会長は「なぜ札幌五輪を開催したいのか」「オリンピックはいまなお、開催する意義の深いイベントだ」という説得力あるメッセージさえ自分の言葉で発信できない。会見で山下会長はこうも言った。
「自国開催の五輪、パラリンピックは、子供たちに夢や希望を届け、日本に活気をもたらし、東京大会のレガシーを受け継ぐことになる」(サンケイスポーツ)
いつまでそんな綺麗ごとを語り続けるのか。国民の潜在意識の中にあったオリンピック幻想はもう崩れている。「札幌五輪が開催されて、国民が感動の嵐に包まれればきっとすべては肯定される」という皮算用はもはや通用しないし、そのような無責任なギャンブルは現代には通用しないことをしっかり認めるべきだ。オリンピック開催が「希望の光」だと、国民が漠然と信じていた時代は終わったのだ。
オリンピック開催はむしろ、例えば原子力発電所が存在することにリスクがある、といった認識と同様、テロや新たな感染爆発などの脅威を起こす危険の温床になる事業でもある。
テロの危険、新たなウイルスなど予測不能なアクシデントに日本は対応できるのか? こうしたリスクに対する確たる回答が用意できないならば招致を支持するわけにはいかない。
会いに行く前に
オリンピックにはそのリスクを冒してでもやる価値がある! と言うなら、JOCのトップ、スポーツ庁長官らは堂々とビジョンを述べるべきだろう。山下会長も室伏広治長官もそのことを一切語らない。それで強引に招致を進めるのは道理に合わない。
山下会長は、秋元克広札幌市長らとともに9月にはIOCのバッハ会長を訪問する予定だという。「開催都市の支持率をIOCは重視している」という。札幌市民の支持率は辛うじて50パーセントを上回っているとされるが、日本国民全体の数字が過半数に達しているとは思えない。それでも「IOC内部では札幌開催が有力だ」との見方も強い。このまま水面下で粛々と札幌五輪招致が決まって、日本に「幸せな未来」は訪れるのだろうか。
もし招致が決まれば、国民の間にますます「オリンピック嫌い」「スポーツ・アレルギー」が広がるのではないか。山下会長、そして室伏広治スポーツ庁長官らスポーツ界のリーダーたちはこうした国民感情を「開催すれば感動で蹴散らせる」とまだ思っているのか。
スポーツが真に国民の健康や心身の豊かさに貢献するため、どんな施策が必要なのかを先に真剣に構築するべきだ。オリンピックよりほかにやることはたくさんある。
コロナ禍で疲弊し、免疫力の低下が心配される日本人の健康増進にスポーツはどう寄与できるのか。ウクライナの問題をはじめ、世界の平和が揺らぐ中、スポーツは平和にどう貢献できるのか、その回答こそが急務であって、札幌五輪がその解決策とは思えない。もし札幌五輪が日本再生の柱になりえるなら、国民の大半が「そうだったのか!」と両手を打つようなビジョンを聞かせてほしい。
山下会長は、バッハ会長に会いに行く前に、日本の国民としっかり向き合い、多くの国民の共感を得る努力を先にするべきだ。
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