力道山、杉村春子、市川染五郎…107歳で逝去、日本初の女性報道写真家「笹本恒子さん」が語っていた「昭和の著名人」秘蔵写真

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「俺は女に弱いんだ」

 1954年には、力道山が開いたレスリングジムを撮影した。

「ドアを開けると、生暖かい、すっぱいような空気が鼻をついた。お弟子さんがベンチプレスを上げていたので、力道山自身にもお願いしたら応えてくれたんです。他の写真家も撮影に来ていましたが、私にしてくれたサービスはなかったそうで、男性カメラマンから『女はいいなあ』と言われました」

 自民党結党の功績者である三木武吉を1955年に撮影した時は、かなり焦ったという。

「朝8時に自宅に来るように言われ、6時間も待たされました。河野一郎さんらと玄関先で1枚写したら、すぐ車に乗ろうとするので、『先生、家の中でもう1枚、お庭でもう1枚』と必死になってお願いしました。後で、三木さんが『俺は女に弱いんだ』と言っていたそうです」

 1950年、婦人雑誌の企画で、画家の岡本太郎がデザインした椅子を撮影しようとした時は、思わぬことに。

「岡本さんの青山の自宅に伺ったのです。椅子だけ撮るつもりでしたが、写真の構図の中に岡本さんがどかんと座って私を睨みつけるのです。もう撮るしかありませんでした。私の負けです」

 1961年、写真嫌いで知られた作家の室生犀星を撮影した時は、滑稽な姿だったという。

「軽井沢のお住まいで撮影しました。お庭が素敵だったので、外で1枚とお願いしたら、着物の上にレインコートと帽子、傘をお持ちになって、その組み合わせが滑稽で噴き出しそうになりました。ところが、本人はまったく気にしていないのです」

 1952年、歌手の藤山一郎邸では、奥さんとお嬢さんも被写体になった。

「毎朝庭で行う、家族のラジオ体操を撮影しました。お嬢さんが反抗期で、嫌々ながら参加してくれたのが印象に残っています」

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