統一教会よりもはるかに強力なのは創価学会の選挙支援 「血の小便を流す」ほどの献身ぶりとは
創価学会の選挙活動とは
薄々問題かもしれないと感じつつも政治家の多くが統一教会(現・世界平和統一家庭連合)と親密な関係を続けたのは、教えに心酔したからというよりは、選挙目当て、というのが一般的な解釈だろう。
宗教団体が選挙に際に頼りになる、というのはよく知られた話である。強い団結心は、他の組織とは比べ物にならない。
こうした選挙戦における創価学会の実力には定評があるところだ。公明党を支えてきた創価学会は、長年、選挙において抜群の存在感を示してきた。
連立を組むようになってからは、自民党にとっても圧倒的に頼りになる存在になったのは言うまでもない。
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がぜん注目を浴びるようになった「宗教団体と選挙」というテーマについて今後考えるうえで、創価学会のことを外すわけにはいかないだろう。
以下、宗教学者の島田裕巳氏の著書『創価学会』(2004年)から、創価学会員の選挙活動について解説している箇所を引用してみよう。
「創価学会の選挙活動の核になっているのが、『F取り』と『Kづくり』である。
Fとは、フレンドのことで、F取りとは、学会員が知り合いに公明党議員への投票を依頼し、実際に投票してもらうことを言う。F取りのためには、知り合いに電話を掛けたりすることになるが、その際には、学会員であるということを明かさなければならず、勇気を必要とする。実際、正体を明かしたために、友人と絶縁状態になってしまうこともあるという。
F取りが外部に対する働きかけであるとすれば、Kづくりは、組織の内部に対する働きかけを意味している。Kとは活動家の略で、学会活動に熱心ではなく、ほとんど休眠状態にある会員を掘り起こし、彼らに公明党議員に投票させることが、Kづくりである。これには、組織を再活性化させるというもう一つの機能がある。
また、地方議会などでは特にそうだが、一つの選挙区に、公明党の議員が複数立候補している場合がある。その際には、学会は独自に『管区』を決めて得票の均衡化をはかり、学会員同士で票の奪い合いをしないよう、『管区協定』を結ぶことになる。
創価学会の選挙にかんしては、『血の小便を流す』という言い方がある。これは、投票前の1週間、特に選挙活動に熱を入れることをさしている。血の小便を流すか流さないかで、票はかなり変わってくるという。
おもしろいのは、選挙活動が一種のイベントとしての性格をもっている点である。選挙活動をともにしたことで、親密になり、結婚にいたる学会員のカップルも少なくないという。
このようなきめ細かな選挙活動ができる組織はほかに存在しない」※
政治と宗教の一体化を目指していた
もちろん公明党支持者や、一定のシンパシーを抱いている方からすれば、統一教会と同じ土俵で論じられること自体、不本意だろう。改憲に慎重なことなど、現在の公明党の政策は、ある意味で自民党よりも穏当なもの、リベラルなものになっている。
山口那津男代表はじめ、メディアに出てくる議員の多くは弁舌爽やかで、説得力あるトークを披露する場面も多い。
ただ、これも長い年月を経て現在に至っている、という経緯もまた知っておいていいことかもしれない。
同じく『創価学会』から引用してみよう。
「結党当時の公明党は、今とは大きく異なり宗教政党としての性格を前面に打ち出していた。1964(昭和39)年に公明政治連盟を改組して誕生した公明党の綱領では、次の項目の実現がうたわれていた。
1、王仏冥合(おうぶつみょうごう)と地球民族主義による世界の恒久平和
2、人間性社会主義による大衆福祉の実現
3、仏法民主主義による大衆政党の建設
4、議会制民主政治の確立
福祉の実現や民主主義の確立という部分は現在の綱領と共通するが、決定的な違いは、結党当初の綱領では、『王仏冥合』や『仏法民主主義』といった仏教的、宗教的なスローガンが鮮明に打ち出されていた点にある。
王仏冥合とは、政治と宗教の一体化をめざそうとするもので、当時の池田大作会長(現・名誉会長)による結党宣言でも、日蓮の『立正安国論』が引用され、『公明党は、王仏冥合・仏法民主主義を基本理念として、日本の政界を根本的に浄化し、(中略)大衆福祉の実現をはかるものである』と、王仏冥合と仏法民主主義の重要性が明確に説かれていた。
(略)
このように、結党当初の公明党は、宗教政党としての性格を明確に打ち出していた。公明党の政治活動の目的は、王仏冥合という宗教的なもので、それは、『国立戒壇』の建立ということと深く結びついていた。
詳しくは後述するが、国立戒壇の建立とは、創価学会がその創立以来信奉してきた日蓮宗の一派、日蓮正宗(しょうしゅう)の国教化を意味した。
国会で多数派となり、議決によって、国立戒壇の建立をはかろうとしていたのである」
世界平和や大衆福祉はいいとしても、それ以外の部分には現在の目で見ると違和感を抱く人もいることだろう。
こうした路線は、言論弾圧事件(1970年)などから世間の強い非難を浴びることもあって、転換を余儀なくされていくこととなる。
公明党の綱領から宗教的な用語は削られ、国立戒壇の建立も目的として掲げられなくなった。現在の綱領は、人命や生活や地球の大切さを強く訴え、「庶民の党」であることを強調したものになっている。
初期には先鋭的であった宗教が、だんだん世俗化していくこと自体は珍しくない。いい意味で「丸く」なっていくのだ。
ただし、統一教会がそのような形で世の中になじむ日がるのかは不明である。
※参考(米本和弘「荒川区町屋三丁目 下町の学会員さん物語」、村山和雄・原田信一「これが学会選挙の舞台裏だ!」『となりの創価学会』)