デビュー48年「中村雅俊」が語る 青春ドラマ、松田優作さん、おしん秘話
ヒット曲は「時代に恵まれた」
――その後も日本テレビ「恋人の歌がきこえる」(1989年)、日本テレビ「夜逃げ屋本舗」(1999年)、テレビ朝日「オヤジ探偵」(2001年)などに主演しました。歌も「ふれあい」(1974年)、「心の色」(1981年)、「恋人も濡れる街角」(1982年)など数々の曲がヒット。俳優をやりながら歌い、ここまでヒット曲を出した人は珍しい。成功をどう自己分析されますか。
中村「歌がヒットした理由はよく分かりません。それが分かったら、ヒット曲だらけですからね(笑)。ただ、『ふれあい』という曲でデビューし、自分の世界をずっと歌い続けてこられたのは、俺の歌の世界を受け入れてくれる人が大勢いたということ。ありがたいです。時代に恵まれました。それと、作家陣が凄く良い曲をつくってくれました。これは自負なんですけれど、俺の曲はヒットしていないものにも良い曲がすごく多いんですよ。もう一つ、運が良かった(笑)」
――秋は11月10日の愛知県芸術劇場(名古屋)を皮切りに全国4都市コンサートに臨む。
中村「そうです。フルオーケストラで歌います。過去のヒット曲も歌いますが、全然違うアレンジになるので、それを楽しんでもらいたい。俺、『ふれあい』の時から、コンサートをもう1500回やっているんですよ。ステージの上でのパフォーマンスは緊張するけれど、その分、中毒になるくらい楽しい」
――最近はナレーションの仕事にも積極的に取り組まれていますね。
中村「ええ。これも面白い。難しいから。俺は神様から『いろいろなことをやりなさい』と決められていたのかも知れないと思っているんですよ。もしも神様が『俳優だけやりなさい』と決めていたら『ふれあい』を歌うこともなかった。俳優、ナレーションのみならず、司会もやり、結局はそういうタイプの表現者になれと神様が決めていたんじゃないかと勝手に考えているんです」
――高校時代までの夢は外交官でしたが、現在の道に後悔はない?
中村「もう全然ないですよ(笑)。高校くらいまでの夢というのは、稚拙で現実味がないものですからね。しかも俺の場合、中学の友達から外交官という言葉を聞いたので、調べてみたら、海外で働ける仕事だと分かり、それに憧れただけですから」
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