デビュー48年「中村雅俊」が語る 青春ドラマ、松田優作さん、おしん秘話
1970年代の「青春」のカリスマは、歌の世界では年内で引退する吉田拓郎(76)、ドラマ界では中村雅俊(71)だった。中村は1974年の慶應大卒業と同時に日本テレビ「われら青春!」で主演デビューし、以後も数々の名作青春ドラマに出演。中村が当時の秘話や文学座の1年先輩である故・松田優作さんの思い出、デビュー48年の現在の胸の内を明かした。
――1970年代の青春のイメージをつくり上げたのは吉田拓郎さんと中村さんという印象が強い。
中村「拓郎さんのデビュー間もないころの曲には青春という言葉を使う歌が割と多かったし、俺がやっていたドラマも青春という言葉をはっきり使い、それを描いていましたからね」
――拓郎さんの歌だと「青春の詩」(1971年)や「あゝ青春」(1977年)など、中村さんのドラマだと日本テレビ「われら青春!」や同「青春ド真中!」(1978年)などですね。
中村「ええ。青春って言葉はなんか照れくさい。そのうえ、あのころは学園紛争から間もなかった。青春と学園紛争は相反するみたいなところがあるので、表立って堂々と青春を語る人はそんなにいませんでした。そんな中で俺は青春という言葉を惜しげもなく使うドラマに出たので、そのイメージが強いんでしょう」
――今年の新成人(20歳)は約120万人ですが、1970年は約246万人。あのころは若者が多く、青春ドラマが熱い時代でした。日本テレビ「俺たちの旅」(1975年)はファンの後押しで1985年と1995年、2003年の3回にわたって異例の続編スペシャルドラマまでつくられたほどです。
中村「確かに1970年代は青春ドラマへの熱気を感じましたね。特に『俺たちの旅』は今もさまざまな人が、『観ていた』と言ってくれます。ありがたい話です。だけど、こう言いたくなる時もあるんです。『ほかにもあるでしょ』って(笑)。俺、今までに連続ドラマの主演が34本あるのですが、ほとんどの人がこのドラマに触れるんですよ」
――なぜでしょう?
中村「友情とか、人を好きになるということとか、人生はどう生きるべきかとか、そんな普遍的なテーマを真摯に描いていたからだと思います。ファッションでつくられたドラマとは少し違っていた気がします」
――当時、中村さんが演じた主人公の津村浩介(カースケ)は自身の素に近いと言われました。
中村「脚本を書いた鎌田敏夫さん、プロデューサーの岡田晋吉さんと一緒に飲んでいる時、『カースケ役には中村のパーツを少し入れよう』ということになったんですよ。だから、カースケの足元はゲタで、ラッパズボンを穿き、米軍放出みたいなシャツを着て、アルバイトばかりしていた。これは俺の大学時代そのものなんです」
――次の続編スペシャルはない?
中村「本当のことを言うと、鎌田さんは次もやりたいんです。鎌田さんとは今もよく会い、飲んだり食事をしたりするんですけれど、そう言っています。今の3人の姿を描きたいようです」
――3人とはカースケと秋野太作さんが扮した熊沢伸六(グズ六)、田中健さんによる中谷隆夫(オメダ)ですね。
中村「ええ。俺も機会があればやってみたいし、プロデューサーの岡田さんもそう言ってますね」
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