技能実習制度のベトナム人はそんなにヤバいのか 実務経験者が語る「反社とのリアルな関係」
“口入れ屋”の跋扈
筆者が世話になった監理団体の代表は、ある時、かねてより懇意の斡旋先企業の担当者から、相場より3割も安い給金で技能実習生を斡旋できる業者がいると聞かされた。
代表が「都道府県の最低賃金を下回る金額で技能実習生を斡旋先することは、技能実習制度では認められていない」と答えたところ、押印した業者からの見積書を見せられ、「おたくからの斡旋を続ける条件は値引きだ」と迫られた。
実習生への支払い額は「制度上の決まり事」であり、値引きをするには監理団体の経費である「管理費」を削るしかない。管理費にも相場があり、それで職員を雇い、巡回用の車両を用意し、パソコンやOA機器を揃えている。車両には駐車場代や高速代、燃料代がかかり、パソコン等の機器にもランニングコストがかかる。
監理団体は非営利であるから、管理費を削ると単純に団体としての存続ができなくなってしまう。
要するに、値引きをすると言っている業者は、認定を受けた監理団体ではなく、技能実習制度が適用されない単なる外国人労働者を正規の実習生だと偽って送り込んでくる、違法性の高い口入れ屋なのだ。
改めるべきは「企業社会の風習」
代表はそのように返答し、「闇ルートから労働者を手配していたことがバレたら、二度と実習生の斡旋はできなくなりますよ」と言った。ところが、その場で契約を打ち切られてしまう
この会社の関連企業が、少し前に汚職事件に絡んでいたことに配慮した親切心でもあった。そう言って、苦虫を噛み潰すとはこのことか、といった顔で代表はうつむいていた。
自分の身を切らずに、不都合や負の部分を弱いほうへと付け回して知らん顔。日本のみならず、各国の企業社会で当たり前のようにある光景だ。
改めろというのなら、こうした「企業社会の風習」こそ真っ先に改めるべきではないか。
先進国としての国際貢献を、具体的な技術、ノウハウの伝承で応じるとした技能実習制度の考え方が間違いだとは思わない。
制度に紐づいている各種の申請書類も、実習計画、賃金や拘束時間、月間の勤務日数、居住地の詳細など、実習生ひとりにつきA4用紙を両面使って100枚近く用意しなければならない。
加えて、受け入れ先の企業が提出しなければならない書面はほとんどIR報告書であり、監理団体を経て受け入れる場合には指定の団体への加入が求められ、その審査も受けなければならない。
深刻な人手不足
また、制度の根幹は実用的な技能の習得であるから、実習生は決められた期限までに「技能検定」を受験して合格しなければならないと定められている。もし合格しなければ、受け入れている企業も「減点」され、受け入れ先として不適合であると烙印を押されることになってしまう。
そうなれば、次の機会から実習生の斡旋を受けられなくなることもある。だから、ほとんどのまともな受け入れ先企業は、技能の教授だけでなく日本語の指導にも熱心に取り組んでいる。指導やコミュニケーションのベースとなるばかりか、検定の問題文を正しく理解して正解し、ちゃんと合格してもらわないと企業側も困ることになるからだ。
実習生を受け入れること、すなわち安価な労働力を安易に得ることだと安直に考えるのは、この点からもまったく間違いだといえる。
先に監理団体は非営利だと述べたが、受け入れる企業とて、単に人手不足だからと名乗りをあげられるほど甘くはないハードルを越えているのだ。
事実、建築関係の小さな企業を経営する筆者の友人は、技能実習生を入れない理由として、提出書類の多さと、手続きと報告の煩雑さをあげていた。
実際に面談をした企業の経営者や担当者は、日本人が来てくれないから人手が欲しいという面は、あえて否定しなかった。
中小企業の苦悩
しかし、それ以上に強調していたのは、日本人が来ないからこそ現業での技術やノウハウが絶えてしまう恐怖がある、という点だ。
そうなれば、家も建たない、介護をする人もいない、弁当や野菜は生産も出荷もされない、そういう日本になってしまうし、なっても良いのかという切実な危機感があるのだ。
監理団体を経由して技能実習生を積極的に受け入れているのは、中小零細で地元に密着するかたちで仕事をしている企業が多い。
昨今、それこそネット上では、中小零細の企業が廃業し、技術が失われたり、海外へ流出するのを憂慮する声が喧しい。
なのに、技能実習制度となると、チラ見しただけの負の一面を掲げ、一事が万事とばかりに短絡的な批判を繰り返す。是非を言うのなら、制度の内容について理解し、当事者の声を充分に聞いてからでも遅くはあるまい。
短期間ながら技能実習制度の現場にいて、わかったことが1つある。
時限的とはいえ異国の地で働き、うまくいけば母国へは帰らずにそのままその国で働き生活をしていこうと考えるモチベーションには、2つしかないということだ。
よほどの志を持ち、覚悟を決めて渡ってくるのが1つ。
もう1つは、よほどやらかして、地元や自国に居られない、あるいは居づらいため、仕切り直そうと逃げるようにして来たタイプである。
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