藤圭子のめいが演歌デビュー 本人は「叔母さんにはかなわない」「(宇多田)ヒカルちゃんもすごい」
藤圭子が急死して早9年。そのめいっ子といえば、宇多田ヒカルのいとこにもあたるわけだが、このたび歌手デビューするという。歌のサラブレッドの血筋から誕生するもう一人の歌手の実力や、いかに。
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とはいっても、「かなでっち!」なる名の藤圭子のめいは、一人でCDを出すのではない。今年2月、51年ぶりにCDを出した父親、すなわち藤圭子の兄の藤三郎(72)のカップリング曲でデビューするという。
ここはまず、藤三郎に聞いてみるほかあるまい。
「8月24日、私の再デビュー2作目『我が人生いかされて』のCDが出て、そのカップリング曲『私を忘れないで』を娘が歌います」
と、父は語り始めた。
「再デビューしてすぐ、作詞家から歌詞を二つもらいました。『我が人生』は歌詞がド演歌でしたが、『私を忘れないで』は、コブシを入れないほうがいい詞に思えたので、僕より娘の歌として出したいと思った。そこで娘の声質に合わせ、声を張り上げないでも魅力的なように作曲したのです」
「圭子はドスの利いたハスキーだが、娘は…」
しかし、なぜ「娘に」という発想になったか。
「娘は子供のころから歌が好きで、いまもネットで毎日、歌声を発信しているとか。去年の秋、娘が“私の歌を聴いてよ”と言ってきたのよ。森昌子の『哀しみ本線日本海』とかを聴かせてくれて、力みすぎだけど悪くなかった。そこで、5月に浅草の木馬亭でやったライブでも娘に歌わせたら好評で、“歌、出すか?”と聞いたら“やりたい”と言うんでね」
お嬢さんの声をどう評価しているのだろうか。
「強いて言えばハスキーボイス。ただ、圭子はドスが利いたハスキーだが、娘のは甘いハスキー。圭子の歌を“怨歌”や“艶歌”と評する人がいたが、娘の歌は“妖歌”とでも言っておこうか。また、ヒカルはたまにかすれた低い声が出るが、娘もそうだ」
そして、しみじみ言う。
「両親は浪曲師で、私が10代のころ私と圭子を連れて北海道から上京し、4人で流しをやった。そして私は再デビューし、娘もデビューする。一族の血なのかな、と思っちゃう」
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