元祖甲子園のアイドル・太田幸司 決勝戦の裏側を本人が明かす(小林信也)
オールスターで対ON
太田幸司の人気の高さは、プロ入り後の現象でもよくわかる。近鉄にドラフト1位で入団。1年目、4月にリリーフ登板し、幸運な初勝利を手にした。実績はそれだけだがファン投票1位でオールスターに選ばれた。2年目は0勝、それでもファン投票1位。3年目も直前に1勝を挙げただけだがまた1位に推された。
「2年目が終わった時、もう野球は無理だと思いました。体も頭の中もバラバラで、イップスみたいな状態。それでも応援してくれる人がいたので、なんとか研究して、自分の腰の回転と上から投げる腕の角度が合っていないと気付いて、スリークオーターに変えました。スライダーとシュート、横の変化で勝負したらいけるんじゃないかと」
チームの先輩にスライダーの名人・清俊彦がいた。太田は清から懸命に学んだ。試行錯誤を重ね、新しいスタイルに手応えをつかみかけた3年目の夏、オールスターで先発の機会を与えられた。舞台は甲子園、セの先発は江夏豊。パの捕手は野村克也。過去2年、「思い切り投げて来い」としか言わなかった野村が太田の成長を見抜いて言った。
「持っている球を全部使って抑えるぞ」
3回無死一、二塁で王を迎えた。太田は覚えたてのスライダーで王貞治を泳がせ、ショートフライに打ち取った。続いて長嶋茂雄を内角シュートで詰まらせた。セカンドゴロ併殺。
「ナイスピッチングや」
野村が笑った。太田の自信が確信に変わった瞬間だった。その年2勝、翌73年は6勝。そして74年から10勝、12勝、9勝、10勝、近鉄のローテーションの一角を担う投手になった。
太田は70歳の今も変わらぬ爽やかな笑顔で言った。
「新しい太田幸司のスタートも甲子園球場からでした」
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