イチロー、武豊、蜷川幸雄… 水谷豊が明かす“華やかすぎる”交友録と“秘話”
寺尾聰とチャーハンを半分ずつ
水谷にとって最も交友関係が長い女優といえば、草笛光子(88)だ。米寿を迎えてもなお現役で輝き続ける彼女は、中高年女性たちの憧れの存在である。
「僕が21歳の頃だったと思いますが、日本テレビの『天下のおやじ』(74年)という番組に出演したんです。頑固おやじ役を長門勇さんが演じて、その妻役が草笛さんで、息子の寺尾聰さんと僕が兄弟の役でした。草笛さんとは、そのあとも『熱中時代』(日本テレビ系・78~81年)でご一緒して、共演する機会が多かったんですよ。それからずっとお付き合いが続いています」
21歳のとき始まったので、半世紀近い関係になる。
「大先輩なんですけど、周りに気を使わせない方だし、楽しい話をなさる方なんですね。去年も寺尾さんと三人で食事しています」
草笛と食事するときは、寺尾聰(75)も一緒のことが多いという。寺尾とは「天下のおやじ」で共演しただけだが、気が合った。
「二人とも、まだ売れる前でしたから、あまりお金がなかったんです。食事に行くときは『今日はいくらある?』『俺はこれだけしかない』とか二人で相談して。ラーメンを1杯食べたら、『じゃあ、炒飯は半分ずつにするか』なんてね」
水谷はそのあと「傷だらけの天使」(日本テレビ系・74~75年)や「熱中時代」でヒットを飛ばし、金銭的にも余裕が生まれた。
「寺尾さんは『おまえ、よかったなぁ、よかったなぁ』って、自分のことのように喜んでくれてね。僕も、寺尾さんの『ルビーの指環』が大ヒットしたとき(81年)には、『本当によかったですね』とお祝いを言って。少し前までは、炒飯を半分こしてたのに」
「あのやんちゃだった豊が、こんなに立派になった」
寺尾と同じく、水谷が20代初めで知り合った人物の中に、蜷川幸雄(2016年没・享年80)がいる。
「蜷川さんがアングラの俳優をやっていた頃で、僕は22歳くらい。まだ先がどうなるか分からない時期に紹介されて、それから随分長い間、会っていなかった」
蜷川は水谷より17歳上で、当時は演出家というより、小劇場に出演する俳優として名前が知られていた。
二人が再会したのは30年以上経ってからである。
「『相棒』が始まって間もなく、彩の国さいたま芸術劇場の小ホールを借りて、撮影をすることになったんです。その頃蜷川さんは劇場の芸術監督を務めていたので、僕がいることを聞いて飛んできてくれた。蜷川さんは『あのやんちゃだった豊が、こんなに立派になった』と喜んでくれてね。僕も出会った頃には蜷川さんが世界のニナガワと呼ばれる演出家になるとは想像していなかったから、再会できて本当に嬉しかった。お互いに感無量というか、もう涙を浮かべて抱き合った」
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