巖さんの実家で発見された「とも布の謎」 弁護団「痛恨のミス」を検証【袴田事件と世界一の姉】
「とも布とズボンは一致しない」で進めた弁護団の失敗
最高裁での死刑確定の翌年、1981年から弁護団に参加した田中薫元弁護士(沼津市在住。巖さんが釈放された2014年に弁護士廃業)は、昨年(2021年)10月の筆者の取材で、とも布についてこう語っている。
「あれはお母さん(ともさん)が巖さんの喪章のようなものだと思って警察に渡したもの。それがいつの間にかズボンのとも布にすり替わってしまった。橋本専務一家の葬儀の写真に、巖さんが喪章をつけて参列しているのが写っていました。それを従業員寮から返されたお母さんがタンスにしまっていたものでしょう。刑事がそれをもらって、持っていったんです」
喪章は黒い。味噌漬けズボンは「鉄紺(てつこん)色」と形容される黒っぽいズボンだ。
「(再審請求を求めた)私たち弁護団は、とも布と味噌漬けズボンは一致したと思っています。実物を取り寄せて、まち針使って1本1本、裁断面の糸を合わせたりして調べてみましたから。ところが、原審の弁護団はずっと『一致しない』と主張して、最高裁まで行ってしまったのですね」(田中元弁護士)
斎藤弁護士ら当初の弁護団は「5点の衣類のズボンと、とも布は合わない」ということを上告審まで強調した。この方針で戦えば、鑑定で「一致する」との結果が出て「袴田のズボン」とされてしまえば「一巻の終わり」に近い。
とも布について、1968年5月9日の一審での検察論告はこうだ。
《 (ロ)鉄紺色のズボンについて
ズボンについては、昭和41年9月27日頃、こがね味噌から被告人の実家に送り返した被告人の衣類の中に前記ズボンの裾を切断したとも布が発見されたことによって被告人のズボンに間違いないことが確認された。(中略)。そして科学警察研究所の鑑定によって前記ズボンととも布が同一縫製、同一繊維、同一染色で両切断面が一致することが明らかになったので、前記両証言の正しいことが科学的にも証明されたわけである。そこで、弁護人は、こがね味噌の寮における衣類の保管状況がルーズであるから他人の衣類等が被告人の衣類と混同される場合があるので、被告人の衣類として送り返した衣類等が全部被告人の衣類であると断定することはできないと主張して被告人との関係を断ち切ろうと試みているが、2部屋しかない小さい寮に一緒に住んでいる者同志が自分の衣類と他人の衣類と混同して区別のつかないようでは共同生活もできる筈はないのであって、その位の区別ができるのが当然である》
かなり弁護側が苦しくなっていた様子がわかる。そして1968年9月11日の一審判決。
《1・鉄紺色ズボン
(1)端布の存在
昭和四二年九月一二日午前八時五〇分頃、被告人の実家である浜北市中瀬袴田茂治方で端布が発見されたことが認められる。
(2)右端布は、九月二七日頃、こがね味噌から右被告人の実家に送り返された荷物(寮にあった被告人の衣類等一切をまとめたもの)の中に入っていたことが認められる。
尤も袴田ともは、公判廷においては、これを否定しているが、その供述態度はあいまいかつ作為釣で信用しがたい。
(3)端布とズボンの関係
イ、この両者は、生地が同一種類であり生地の染色も似て居り、さらに、ズボンには、端布の切断面に一致する切断面が存することが認められる。
ロ、ズボンは名古屋市西区山田町深井縫製の深井和江の店で、縫製されたものであり、端布は右ズボンの右裾を切断したとも布であることが認められる。
ハ、ズボンのウエストの直し方、および裾の縫い方が富士市富士本町日の丸洋服店のそれと特徴がよく似て居り、この方法は、同店独自のものであること、ならびに、同店では裾を直した場合必ずとも布はズボンのポケットに入れて客に渡すことにしていた事案が認められる。
(4)右富士市日の丸洋服店は(中略)被告人が昭和三六年一〇月頃から同三七年七月頃まで居住していた同市同町(番地省略)の三枝喜三郎方とは、本店から徒歩五分位、支店から徒歩二分位の距離であったこと(中略)が認められる。
右(1)ないし(4)の事実を総合すると、端布は鉄紺色ズボンのとも布であって、右ズボンは被告人のものであることが認められる》
結局、一致が認められ、裁判所は検察の主張通り「ズボンは袴田巖被告の所有物」と認定してしまった。弁護団の大失敗である。
田中元弁護士は、「喪章を持って帰って(家宅捜査の後に)すり替えたか、とも布をあらかじめ持参したか。でも、警察の捏造であれば、元のズボンと一致しない結果が出るような布切れをわざわざ実家に持参するはずもない。一致していたものを(捜査の前に入手し)持っていたと思っていましたね」と語る。
捜査側にとって鑑定で不一致とされれば元も子もない。「予定通り」合致していたという鑑定は12月に出された。警察はズボンを入手して味噌タンクに放り込んだが、購入した際に切ってもらったとも布を持っていた。不可解なのは、巖さんが「ズボンを購入した」経緯を、捜査側が全く検証していないことだ。店が近くにあるだけでなぜ、巖さんが購入したことになるのか。こんな判決文がまかり通ることが異常である。
「袴田巖さんを支援する清水・静岡市民の会」の事務局長である山崎俊樹さんは「その後、控訴審を担当したある弁護士は、事務所の若手弁護士がとも布とズボンの切れ目を調べて『合致しています』と報告すると、『合致しなかったと言え(主張しろ)』と言ったそうです」と打ち明ける。当時の弁護団は「とも布は巖さんとは関係ない」とは主張したが、「捜査機関の捏造」という可能性を最初から排除してしまっていた。
[3/6ページ]