巖さんの実家で発見された「とも布の謎」 弁護団「痛恨のミス」を検証【袴田事件と世界一の姉】

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法廷で証言した母・ともさん

 この経緯に疑問を持った斎藤準之助弁護士の申請で、同年11月17日の静岡地裁における第21回公判で、ともさんが証人に立った。質問者は斎藤弁護士。

《Q あなたのうちへ 今年 八月以降に 警察が 来たことがありますか
 A はい 二度ございました
 Q 二回目に来たのは 何日ころか わかりませんか
 A ちょっとーーー
 Q そのときの状況を聞くんですが 日の覚えないんですか
 A はい 九月中に来た 覚えはあるんです
(中略)
 Q これは 巌のものかどうか 聞かれたんですか
 A はい 引き出しから 持ってきて これは だれが 着たものかどうかと 聞かれました
 Q それに対して あなたは 答えたわけですね
 A はい》

 次は1968年2月15日の24回公判。

《Q 端布については あなたは 引き出しに 入れておいたと いうんですが
 A はっきり 覚えありません
 Q あなたは 黒いズボンの 端布というのは 捜索のある以前に 見たことあるんですか
 A はっきり しません
 Q そういうふうに 警察に いいましたか
 A はい 警察の方が このきれは どういうきれかと 問われましたんで はっきり こがねさんの荷物の中に あったのか どうか 横に 落ちていたものか はっきり しませんと申しました
 それから うちにある長男の洋服を 全部調べまして その中の きれとは品が 違うこのように 申しまして これはズボンを 切った きれだ 私は そういったことは 思いませんでした 腕章でも 巻いたような きれですね と申しました はっきり どこにあって 自分は どういうふうにして という 記憶は ございませんでした
 Q 送った荷物の中からも 見たことがない ということですね》

 長男とは、巖さんや姉のひで子さん(89)らの兄・茂治さんである。

 この経緯について、ひで子さんが振り返る。

「当時、母が一人でいたところに刑事が入ってきて、なんだか布を持っていったそうです。松本という警部さんが先にいたそうですが、母親は松本警部と岩田警部補が2人で来たと思っていたと思いますね。当時、すぐに母からその日のことを聞いたわけではありませんで、あとになって聞いたことですけど」

 とも布の発見現場、つまり巖さんの実家で、岩田警部補はすぐに「味噌漬けズボンの切れ端」を発見したと分かったという。汚れてもいないとも布が味噌漬けで黒ずんだズボンの切れ端だと分かるのは不自然だが、当時、捜査本部には鑑定など待っていられない事情があった。静岡地裁での一審が翌日に控えていたのだ。

 それまで散々、「科学捜査の勝利」と新聞に書かせ「犯行時の着衣」としたパジャマから、突然、2週間前の8月31日に見つけた「5点の衣類」に冒頭陳述を変更した。その際、「5点の衣類」と共に「袴田巖さんの所有ズボン」の証拠として、とも布も裁判所に提出したのだ。

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