「習近平の『皇帝化』は歴史の必然」――中国史の第一人者が暴露した「悪党を生み出す中国というシステム」

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 習近平はもちろん、ポスト習近平も必ず「悪党」にならざるをえない――中国史の第一人者がそのように結論づけた新刊『悪党たちの中華帝国』が話題を呼んでいる。この本の著者で、京都府立大学教授の岡本隆司さんに話を聞いた。

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――『悪党たちの中華帝国』とは剣呑なタイトルですね。失礼ですが、岡本さんは「反中」思想の持ち主なのですか?

 これでも歴史家・研究者のはしくれなので、「反中」とか「親中」といった政治的な立場やイデオロギーで、中国を見ることはありません。本書も、中国史上「悪党」とされた人物を取り上げて、なぜそのような評価を下されたのかを考察したものです。

――「中華帝国」とは、いつの時代の中国を指しているのですか?

 1915年末からの数カ月、ごく短期間ながら袁世凱(えんせいがい)を皇帝とする「中華帝国(Empire of China)」という国号を称した時期がありました。

 しかし通常「中華帝国」といえば、皇帝(emperor)を戴いた秦の始皇帝以降の二千年がそうであり、実際、中国語もその意味で使います。

 本書では「帝国=異なる文化圏を含む広域支配を実現している国」という点を重視して、隋・唐の時代以降を「中華帝国」としています。

――すると、広域支配を実現している現在の中国も「中華帝国」になるのですか?

 そこがポイントです。実際、現在の中国共産党が抱えている統治上の課題は、隋・唐以降の1400年にわたる歴代王朝が抱えてきたものと、大きくは変わっていないと思います。

 結論を先取りすれば、もともと「一つの国」とはとてもいえないような広域で多元的な社会を、一元統合しようとするところに矛盾が生じる。それゆえに、中国の統治者は無理に無理を重ねて、どんどん「悪党」に堕していく。

 辛亥革命で共和制になっても、共産革命で社会主義国になっても、結局、蒋介石や毛沢東といった「悪党」の独裁に陥り「帝国」化していく。今に至る中国の歴史は、そのくりかえしともいえます。

――たしかに、本書に出てくる「唐の太宗」や「明の永楽帝」などの悪党たちの行状を見ていると、習近平の顔が思い起こされるようなところがありますね。

 明君の自己顕示に余念のないところは唐の太宗でしょうし、対外威嚇に忙しいところは明の永楽帝でしょうか。まさに歴代王朝の帝国統治の延長線上にあるといっていいでしょう。

 くわえていまは20世紀以来の「国民国家」形成の課題があります。「一つの中国」を標榜して、香港に圧政を敷き、新疆ウイグルやチベットを弾圧し、台湾を力づくで併合しようとしています。

 このようにして習近平はこれからも「悪党」であり続けるでしょうし、またポスト習近平が誰になろうと「悪党」にならざるをえない。これは個人の道徳的資質の問題ではなく、中華帝国を受け継いだ「中国」というシステムが必然的に統治者を悪党にしてしまうのです。

――では、中国が「一つの中国」を無理に追求することをやめれば、「悪党」も「帝国」も解消に向かうということでしょうか?

 中心至高を意味する「中国」という概念は、「一つ」「唯一無二」の意味もあわせ内蔵していますので、それは不可能だと思います。「一つ」でないと「中国」ではなくなります。台湾はさておき、新疆ウイグルやチベットなどを手放すことはないでしょう。かといって、ウイグル人やチベット人を漢人社会と調和的に統合するのが難しいことも歴史が証明しているところです。

――ということは、これからも私たち日本人は、「悪党」が率いる「中華帝国」と向き合い続けなければならないということですね。

 そうなる可能性は高いと思います。だからといって悲観する必要はありません。日本人は有史以来、中国とさまざまなあつれきを抱えながらも、ほとんどの時期はつかず離れずの距離で比較的うまく付き合ってきたといえます。これからも、それを続けていけばいいのです。決してたやすくはありませんが。

――中国と付き合っていく上で、気を付けなくてはならないことは何でしょうか?

 重要なのは、中国は日本とはまったく異なる価値観・行動原理を持っている国だと、しっかり肝に銘じておくことです。日本人のように「普遍的価値」を尊重するなどとは夢にも思ってはいけません。ロシアのプーチンが西側諸国の予想を裏切ってウクライナに侵攻したように、中国も独自の論理で動きます。

 ですから、彼らがなぜ「悪党」となり、どうして「帝国」のように振る舞うのか、その内在論理を歴史からしっかり学んでおく必要があるのです。

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