統一協会「文鮮明」を無理やり入国させた金丸信の大罪 今なら政権が吹っ飛ぶ大スキャンダル
統一教会(註1)の創始者・文鮮明(ムン・ソンミョン=1920~2012)と“政界のドン”と呼ばれた金丸信(1914~1996)は、少なくとも一時期、密接な関係を持っていた。おまけに金丸も、拳銃で狙撃された過去を持つ。(文中、敬称略)
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【写真】車イスに乗り、こちらを睨みつける桜田淳子。「神の真理こそが、人間の問題を解決できるもの」と発言していた(1993年4月撮影)
元首相の安倍晋三(享年67)が7月8日、奈良市内で射殺されたことは記憶に新しい。
安倍も金丸も自民党の大物議員。統一教会と関係を持ち、共に“テロリスト”に命を狙われた──これほど類似点が重なると、薄ら寒い思いをする人もいるだろう。
自民党と統一教会の闇を象徴しているかのようだが、まずは「金丸副総裁狙撃事件」の顛末から振り返ってみよう。
1992年3月20日、栃木県足利市の市民会館で「山岡賢次を励ます『春分の日の集い』」が開かれた。
当時、山岡賢次(79)は自民党の参議院議員。この年の7月に行われる衆院選に鞍替え立候補することが決まっていた。
自民党副総裁だった金丸は、市民会館で応援演説を行った。金丸が30分ほどの演説を終え、山岡と握手を交わした瞬間、右翼団体の構成員だった男が拳銃を両手で握って発砲。会場内には銃声が3回、響いたという。弾に当たった人は誰もいなかった。
栃木県警の警備が問題視されたことも今回の事件と同じだ。毎日新聞は事件翌日の21日夕刊に「また右翼の暴力、2000人騒然 最前列から狙い1発は演台貫通――金丸氏銃撃事件」の記事を掲載した。
金丸・金の密談
《会場周辺には栃木県警の警察官126人が警備にあたり、舞台の両そでには10人前後が、また、客席最前列や客席の間の通路でも10人ほどの私服警官が警戒に当たっていた。しかし、客席最前列と舞台の間の約1・5メートルの通路には警官はおらず、発砲に対応できなかった》(註2)
なぜ金丸は右翼から狙われたのか、担当記者が言う。
「1990年9月、自民党と社会党の国会議員らが北朝鮮を訪問しました。自民党の代表が金丸さんだったので、“金丸訪朝団”とも呼ばれました。自社の議員団は朝鮮労働党と共同宣言に調印したのですが、その中に『戦前・戦中の植民地支配だけでなく、戦後の北朝鮮に与えた損害に対しても謝罪と償いを行う』という内容が盛り込まれました。これを右翼団体が“土下座外交”と厳しく批判しました」
当時、北朝鮮のトップは金日成(キム・イルソン=1912~1994)、日本の首相は海部俊樹(1931~2022)だった。
「訪朝中、金日成の依頼に応じ、金丸さんは金日成と2人だけで密談を行ったことが明らかになっています。正確に言えば、北朝鮮側の幹部1人だけが列席していたので合計3人だったそうです。意思疎通には日本語も使われたという情報もあります」(同・記者)
後に金丸の次男が取材に応じ、父から聞いた経緯の一部を明かしている。だが、密談の内容までは伝えなかったようだ。
「北朝鮮側もメモを取っていなかったらしいという推測もあるほどで、日朝両国に公的な記録は全く残っていない可能性もあります。いずれにしても、2人が何を話し合ったのか、現在に至るまで詳細は分かっていません」(同・記者)
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