「寺院消滅」時代をお寺はどう乗り切るか――鵜飼秀徳(正覚寺住職・ジャーナリスト 良いお寺研究会代表理事)【佐藤優の頂上対決】

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檀家が何軒なら成り立つか

佐藤 同じ問題が教会にもあります。日本基督教団では、教会を二つに分け、教会員の数が少なく財政的に成り立たない教会を「第二種教会」と呼んでいます。

鵜飼 教会の場合、どのくらいの信者数がいれば、牧師の生活が成り立つのですか。

佐藤 籍を置いている教会の儀式にきちんと通う教会員を「現住陪餐(げんじゅうばいさん)」と言いますが、100人はいないと難しいですね。ただ教会がどういう不動産を持っているかで変わってきますし、幼稚園を運営してそこに間借りしていたりすると、30人ほどでも成り立ちます。

鵜飼 仏教では、檀家が少なくとも300軒はないと厳しいです。

佐藤 日本基督教団の第二種教会は、現住陪餐の人数が20人ほどで、牧師の生活は成り立たない。ですからそこには、普通の牧師を送ることができないんですね。

鵜飼 どうするのですか。

佐藤 退職後やある程度年を取ってから神学部に入ってきた人にお願いすることが多い。彼らには経済的基盤がありますから。ただ会社の出世コースから外れたり、退職後に「先生」と呼ばれる仕事をしたいといった動機で来る人もいるので、玉石混淆です。そういう人の中には問題を起こす人もいるんです。

鵜飼 仏教寺院でも、退職後にお坊さんになりたいという人が一定数いますね。

佐藤 彼らも厳しい修行をして得度するわけでしょう。

鵜飼 もちろんです。宗派によってハードルを下げているところもあれば、上げているところもあります。例えば臨済宗妙心寺派は、リタイア組を歓迎しています。一方、私どもの浄土宗は、リタイア組には厳しいほうだと思います。入行(にゅうぎょう)時には、「発心(ほっしん)」(仏陀の悟りを得ようとする決意)を見極めようとしますし、僧侶の教師資格を取った後も、さまざまな講習会に出なければなりません。

佐藤 教学はきちんと学んでほしいですね。牧師でも、学生運動の盛んだった1970年前後に神学部を卒業した人たちは、勉強していませんから、聞くに堪えない説教をすることが多いんです。例えば、人が亡くなった時、「○○さんは肉体の苦しみから救われ、魂は天に上げられました」と言う。これは、キリスト教の教えではありません。世間一般では、死ぬと魂と肉体が分離し、魂は永遠だという受け止め方をされていますが、キリスト教では、死んだら魂も肉体も一度滅び、それが復活するのです。

鵜飼 仏教の説教は、お経を説く(=説経)という意味で、お経について話さなくてはなりません。それをいまは多くが「命を大切に」など、人生論に終始した話をしています。

佐藤 キリスト教カルヴァン派の講解(聖書の解説)説教では、一年を通じて決められた聖書の項目の説教をしなければなりません。でもいま牧師が好むのは「主題説教」ですね。その時、自分の中にあるテーマについて、聖書のいろんな部分を絡めたパッチワークで話をしてしまう。

鵜飼 仏教では「対機説法」と言います。相手の能力と状況に従って、その場に合った説教をする。本来、それは非常に難しく、本質がわからなければできないことです。

佐藤 神学者のカール・バルトが説教についてこう言っています。人間は神ではないから神について語ることは不可能である、しかし説教壇では、不可能なことについて語らなければならない。これを「不可能の可能性」と言いますが、この弁証法的緊張感の中で行われるのが説教です。だから世相講談みたいな説教を聞かされると、「大丈夫かな」と思わざるをえないですね。

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