アラフィフになった元「援助交際少女」 娘をもったいま「パパ活女子」に思うこと
娘に願うことは…
実は貴子の家は、首都圏のとある地区の政治家の一族である。高校も名門私立だった。
「悪い友達は駅前でタバコを吸ってたけれど、私がやったら“あそこの娘が…”と言いつけられるから、とてもじゃないけれどできなかった」
援助交際もその悪い友達に誘われた始めたわけだが、貴子は「お嬢様エンコー少女」だったのだ。本人も言う通り、そうした地元や学校の“しがらみ”から逃れる場所として、デートクラブに通っていたようだ。
当時、援助交際をしていた少女たちは、狂った金銭感覚をただすことができずに、高校卒業後はキャバクラなどの業界へ流れていくことが多かった。その点、貴子は卒業と同時にそうした世界からきっぱり足をあらった。そのあたりは“育ちの良さ”ゆえかもしれない。
その後、海外で出会った夫と結婚したが、もちろん援助交際をしていたことは伏せていた。向こうの浮気が原因で、慰謝料500万円をもらって離婚。いまは娘と実母と暮らしている。もちろん援助交際をしていたことは言っていない。今後言うつもりもない。
当時のデートクラブの友達とは疎遠になってしまっているが、5年前に出かけた先でばったり会ったことがあった。気まずさや疚しさはなく、ただ、「昔の友達に会った」感覚だそうだ。
「私は援助交際で危ない目にもあってないし、とくに後悔はしていない。ただ、普通ではない青春時代だったという思いはある。高校生同士の淡い恋愛とかはしてみたかったな。だから娘には、できれば同い年の、その時に好きな相手と早くしてほしい。私には隠しているけど、一応、彼氏はいるみたいで。『友達と遊園地に行く』ってめちゃくちゃおしゃれして出かけていって、なのにその時の写真は一切見せようとしない。娘のスマホの位置情報をチェックしているかぎりでは、相手の家なんかには行ってなさそうだから “まだ”だと思う(笑)」