アラフィフになった元「援助交際少女」 娘をもったいま「パパ活女子」に思うこと
いまのパパ活は「安すぎ」
貴子が援助交際をしていた当時といまとでいちばん違うのは「値段」だろう。現在のパパ活での“オトナ”、つまり大人の関係は3万円からが相場だと教えると、
「安すぎ。私だったら絶対にやらない。私の時代は『いま履いているパンツくれたらお小遣い』で3000円から5000円。一緒にお茶飲むだけで5000円から、3万円くれた人もいたな。寝るのはその人にあわせて値段を変えていたけど、5万円くらいがふつうだった。中には10万円くれた人もいたなあ。わたしは違ったけど、未経験の子は20万円というのも聞いたことがある」
当時は「女子高生ブーム」の真っ只中。中高年の男性が未成年女子に群がり「吐き古した靴下」まで買っていたような時代だ。当時、貴子の月収は50万円を超えたが、お金は“仕事”おわりにみんなで食べる焼肉などに消えていた。
「変に高いものをもってると親に怪しまれるから、ブランド物は買わないようにしていた。でも今思うと、後から換金できるブランド物にしておけばと後悔している(笑)。でもみんなと食べるご飯は、オヤジと食べるご飯とは別物だった。誤解されるかもしれないけれど、お金と言うよりも『みんな』で過ごす時間のためにデートクラブに通ってたようなもの。お店にいけば友達が何人かいて暇をつぶせるし、スタッフのおじさんも良くしてくれた。いちど、おじさんの運転する車でみんなで温泉にいったこともある。学校ではない居場所というか、たむろする場が店だった。援助交際はそのオマケ、みたいなもの」
マンションの一室にあったデートクラブは、待機する女の子たちを客が覗き見し、指名するシステムをとっていた。客の姿が女の子たちから見えないよう、マジックミラーもしくは小窓があったはずだが、不思議と貴子の記憶はあいまいだ。
「よく来ていたお客さんのことは覚えていて、顔が恵比寿顔の『えびすさん』とか、いつも雑誌で顔を隠している『週刊現代』ってあだ名の人とか……。客の姿を覚えているってことは、小窓だったのかな? 私はいまでいう塩対応だったけど、リピーターは5人くらいいたかな。今思うと制服を着て店に出てたこともあったから、どこの学校の子か一発でわかっちゃうね。やばいよね。でも当時は顔を晒される、見られるという恐怖はなかったかな。地元から離れた場所だったし、だいいちバレたらまずいのは客も一緒。未成年を買うんだから」
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