維持管理に1800万円、松本明子が明かす「実家の整理」の苦楽 「親への感謝の気持ちが湧いてきた」
生まれ育った家、家族の思い出が詰まった実家。その消滅など想像したくなくても、多くの人にその日は訪れる。指針になるのが松本明子(56)の、悲喜こもごもの体験談だ。
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「いまも香川の高松に帰れば、自分が育った実家がそのまま残っているから、よかったと思います」
と語るように、松本の実家じまいは大団円を迎えたのだが、そこまでの道は真っすぐではなかった。
「20代で両親を東京に呼び寄せ、それから実家を手放すまで25年間、漠然と維持管理をして、振り返ると1800万円の大赤字でした。ただ、37歳のとき、父ががんを患ったのですが、他界する前に“実家は明子に頼む”と言われ、その言葉が重くて。その後は、父の4年後に他界した母の介護や育児に忙しくて、実家のことは“いつかそのうち”と先送りにしていました」
両親はモノを捨てない世代
東日本大震災を経験し、避難場所として維持することも考えたそうだが、
「社会問題になった空き家に関するテレビ番組に出演して、自分がまさに渦中にいると気付いて、“真剣に考えないといけないな”と。40代半ばのころです」
いよいよ高松に通って実家を片付けはじめたが、
「体力が要ります。一部屋ずつやろうと考え台所から始めました。両親が昭和初期生まれのモノを捨てない世代で、食器棚はいっぱいだし、鍋や家電でぎっしり。床下からは昭和47年に漬けた梅酒の瓶とかゴロゴロ出てきて、台所だけで3日はかかりました。ほかにも母親の洋服や着物は100着以上あって、たぶん親は、自分が亡くなると思っていないというか、片付ける気もなかったんでしょうね」
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