日本は「中進国」に成り下がった? 給料を上げる“逆転の一手”とは?
世代を超えて継承される「守りの姿勢」
その結果、企業に資金的余剰が生まれ、余った資金が土地に向かいました。こうして土地価格が異常に高騰し、バブルが発生します。しかし、これは「オウンゴール」。中小企業は企業努力で生産性を上げ、輸出ができていたのに、政府が焦って財政出動し、日銀は金利引き下げを行い、バブルを生んでしまいました。
その結末はご存じの通りです。海部俊樹内閣のとき、日銀の三重野康総裁が金利の引き締めを行い、大蔵省が膨れ上がった土地バブルをつぶそうとして、銀行に不動産向け融資の総量規制を行うよう通達したのです。銀行から多くの資金が流れ込んでいた不動産業界は、資金源を断たれて次々と破綻し、地価も暴落。バブルは弾けました。
その後、訪れたのは「バランスシート不況」でした。バブル時代、不動産という担保があるかぎり積極的に貸し込んだ銀行は、一転して企業に返済を求め、貸しはがしを始めました。しかし、企業は業績が悪化して返済できず、担保の不動産で返そうにも、不動産価格が暴落して赤字は積みあがるばかりでした。こうなると企業は、設備投資や雇用を減らして埋めるしかなく、こんな守りの姿勢ではイノベーションが起こる余地はありません。
こうして不況が継続され、企業の守りの姿勢は世代を超えて継承され、日本企業の体質として定着してしまいました。
「交易条件」が急落
日本にはもう一つ、不運が重なりました。90年代以降に「高齢化」の波が押し寄せたことです。その結果、社会保障費は増える一方なのに、高齢化で就労人口が減り、そのうえ経済も低迷しているために、歳入が増えず、不足分は国債を発行して埋めるしか方法がありませんでした。
こうして日本政府の債務は、90年に対GDP比で60%だったのが、2000年には150%になり、いまでは260%に達しています。社会保障費や地方交付税、国債の償還など固定的な支出が膨れ上がり、その結果、他方では構造改革や経済成長など戦略的支出に向けるべき財源は圧迫され、経済は停滞を余儀なくされています。
「交易条件」という言葉をご存じでしょうか。端的にいえば、外国と貿易して儲かるかどうかの指標で、分子に輸出物価指数、分母に輸入物価指数を置いた分数で表されます。半導体協定やプラザ合意など、これまで述べてきた原因で、日本経済がどれだけ低迷しているか。それは交易条件が悪化している現状に、如実に表れています。
同じものを売り買いして、輸入額が輸出額を上回れば国内の富が国外に流出する、という理屈はわかると思います。日本はこの何カ月か円安続きで、それ以前に製品の競争力自体が低下しているので、輸入物価が上がって輸出物価が下がっています。このため、80年代には良好だった「交易条件」が急落しているのです。
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