松田聖子を発掘したプロデューサーが明かす「衝撃の出会い」 母娘関係の実像とは
歌手デビューから40年あまり。いまも根強い人気を誇る松田聖子(60)は、いかにして生まれたのか。16歳の“原石”を発掘した音楽プロデューサーで、7月に『松田聖子の誕生』(新潮新書)を上梓した若松宗雄氏(82)が明かす、知られざる聖子と娘・沙也加の実像。
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「聖子との出会いは昭和53年5月。当時の私はCBS・ソニーの新米プロデューサーでしたが、ヒットに恵まれずスランプ状態。本来は楽観的な性格なのに、人には会いたくないし、やることもない。どうにも手持ち無沙汰なので、新人歌手やタレント発掘を企図したコンテスト『ミスセブンティーン』の参加者たちの歌を録音したカセットテープを聴くことにしたんです」
とは若松氏。1日でおよそ200曲に耳を傾ける中、運命の出会いへの予感があったと振り返る。
“すごい声を見つけた”
「決勝ではなく、地方の予選にこそ有望株がいるんじゃないかと。何度もラジカセの再生ボタンを押し続けて、彼女の歌声が流れ始めた瞬間は、いまもはっきり覚えています。爽やかで可愛さがあって、力強い。歌とは歌い手の心から出てくるメッセージ。声の質であり、強さであり、世界観にほかならない。再生を繰り返すうちに“すごい声を見つけた”と実感しましたよ」
芸能界入りを打診しようと自宅に電話をかけると、聖子本人が応対したという。
「何回かの発信音の後、“はい、蒲池です。法子です”と本名を名乗る声が。歯切れも良くて、歌のまんま。“この子は間違いない”と、改めて確信したものです」
電話越しに若松氏が面会を申し出ると、聖子は二つ返事で応じたそうだ。
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