短い栄光とその後の不遇… 一度も優勝できなかった大関・豊山(小林信也)
いまから61年前の出来事、それがスポーツライター小林信也の“覚醒の時”だったかもしれない。
幼稚園から帰ると、テレビの大相撲中継がちょうど十両の勝敗を伝える時間だった。子どもなりに関心を持って見ていたのだろう。やがて、「内田」という力士がずっと勝ち続けていると知った。
(今日も勝った)
自宅に戻って内田の勝利を確認することに、胸を躍らせるようになっていた。
(内田がまた勝った!)
5歳の私は幼稚園から家まで約300メートルの道を駆け足で帰った。
(内田の結果を見逃すわけにいかない)
そしてついに内田は千秋楽まで勝ち続け、全勝で十両優勝を飾った。まだ見ぬ内田が私の中で大きな存在になっていた。内田の顔や取り口をいつ最初に見たか覚えていない。ただ内田が奇麗な体形とやさし気な顔立ちだったことに、いっそう心を奪われた。自分自身、けんかと無縁、怒りの感情さえあまり持たない少年だったから、猛々しい力士より、穏やかな雰囲気を漂わせる内田に親近感を抱いた。
しかも同じ新潟県出身(新発田市)と知ってもう自分の中でまるで「自分以上の存在」になった。当時、新潟県出身でテレビに登場する人は、郵政大臣を経て自民党政調会長を務める田中角栄くらいだった。ジャイアント馬場が日本で活躍を始めるのはまだその後だ。プロ野球にも新潟県出身のスター選手はいない。そこに登場した故郷の星・内田への熱い思いは高まるばかりだった。
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