水谷豊が明かす“寺脇降板”秘話 「いつまでも居ちゃだめだ」とアドバイスした理由とは
「ソリは本当にいい奴」
水谷は「これまで嫌な俳優に会ったことがない」と言うが、なかでも反町は特別だった。
「ソリは本当にいい奴。人間性というか、温かくて人への優しさを持っている。一緒に仕事してよかったなと思うし、お互いにまたいつかチャンスがあったら、やろうねとなる。もちろん、代々の相棒に対しても同じ気持ちだけど」
相棒は亀山薫、神戸尊、甲斐享、冠城亘と続いたが、これらの名前には(か)で始まって(る)で終わるという共通点がある。
「名付け親の輿水さんは3人目までまったく気付いていなくて、その法則を発見したのは同じ脚本家の戸田山(雅司)さん。輿水さんは戸田山さんに指摘されて初めて気が付き、法則に従って冠城亘と命名したそうです」
そして「最後の相棒」となる亀山薫が帰ってきたことで、この法則は完結した。
「相棒が交代して、右京が変わるとすれば、自然に変わるわけで、それが一番いい。ただ、右京は何があっても前に進みます。あの頃はできなかったけれど、今ならできるという発見が、必ずあるはずですから」
今回、水谷は初めて自らの来し方を振り返る取材に応じた。
「60歳のときだったら、たぶん依頼を受けなかったと思います。まだ振り返る時期ではないと。古希を迎えた今年が、タイミングだと思ったんです」
「相棒」の話にとどまらない、「70歳までの人生とこれから」を水谷が語り尽くす。
(以下次回)
[7/7ページ]