「ちむどんどん」は不思議な“イラ朝ドラ” 残り1カ月半で解決されるべき問題は意外に多い
厳しい評価もあるNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」が終盤に近づいた。残すところ約1カ月半弱。辛口の採点もある理由は何か。また、解決していない問題がいくつも残されているが、有終の美を飾れるのだろうか。
不思議な朝ドラ「ちむどんどん」
「ちむどんどん」は不思議な朝ドラだ。アンチが少なくないが、視聴率はそう悪くない。
例えば8月11日の視聴率は関東が世帯15.7%で個人全体が8.7%。関西が世帯14.7%で個人全体8.3%。名古屋が世帯18.5%で個人全体9.5%。2021年度前期の「おかえりモネ」とほぼ同水準である(ビデオリサーチ調べ)。
観ていると、ヒロインの暢子(黒島結菜)や夫の青柳和彦(宮沢氷魚)、暢子の兄・比嘉賢秀(竜星涼)たちにイラッとさせられることがある。だが、それもこの朝ドラを観る動機になっているのかも知れない。イラミス(イライラするミステリー)ならぬイラ朝ドラである。
全体の構成も個性的。暢子ら比嘉家の4兄妹が子供だった第2週までは一家が貧しさと対峙したり、父親の賢三(大森南朋)が心臓発作で急逝したり。悲哀の漂う物語だった。
ところが、その後は作風が徐々に変転。明るくなっていった。比嘉家は叔父の賢吉(石丸謙二郎)に借金問題などで責められようが、妙に楽天的だった。
第6週からの東京編はより明るくなった。さらに和彦の母親・青柳重子(鈴木保奈美)が登場した第16週ころからはコメディ色が鮮明になった。
第18週で暢子の姉・良子(川口春奈)と賢秀は重子に会うため、青柳邸を訪れたが、まるでドタバタ喜劇だった。2人は暢子と和彦の結婚を許してもらうため、青柳邸にアポなしで出向いたものの、玄関前で激しく揉め、重子の前でまた争う。おまけに賢秀は重子のオルゴールに勝手に触って、壊した。全ては喜劇の教科書通りだった。
これまで約4カ月半の物語が単調ではなく、変化に富んでいたのは確か。だから批判の声はあるものの、「飽きた」「マンネリ」という意見は聞かない。制作陣の計算通りに違いない。
暢子のキャラクターが観る側にとってイラッとするものになったのも制作陣の意図の通りのはず。プロなのだから、暢子のキャラクターがどう受け止められるか分かったうえで撮影しているはずだ。
暢子にイラッとするのは相手の気持ちを酌み取らないから
暢子にイラッとさせられるのは忖度が出来ないためである。忖度が相手の気持ちを推し量ることなのは知られている通り。官僚が政治家を庇うことではない。忖度は中学生くらいになったら誰でも求められる。
ところが暢子は25歳になった今も忖度が出来ない。やらない。子供のまま。第1話で賢三からそう教えられたからだ。
1964年、小5だった暢子に賢三はこう説いた。
「暢子は暢子のままで上等。自分の信じた道を行け」(賢三)
以後、暢子は変わらない。高3だった第3週から第5週の1971年から1972年、山原高校の同級生で陸上部キャプテン・新城正男(秋元龍太朗)に好意を持たれたが、気づかなかった。これも相手の気持ちを推し量ろうとしないからだ。
砂川智(前田公輝)の思いも1978年になった第12週で幼なじみの前田早苗(高田夏帆)から教えられるまで分からなかった。暢子にとっては平常運転だ。そんな暢子にイラッとする視聴者もいるのは仕方がない。
暢子は相手の心情を酌み取ろうとしないから、重子が拒絶しているにもかかわらず、和彦との結婚を許してもらうため、手作り弁当を持って青柳邸に日参した。第16週だった。これは最終的にマイナス点にならなかったものの、相手の気持ちを推し量ったら、できない。
暢子は青柳家のお手伝いさん・岩内波子(円城寺あや)に弁当を渡した。波子は渋面で固辞したが、暢子は「絶対おいしいですから」と押し付け、満足そうに帰っていった。
暢子は事の本質すら分かっていなかった。その時点の波子にとって、味なんてどうでもよかったのは言うまでもない。重子が暢子の接近を拒んでいたから、弁当は受け取るわけにはいかなかった。暢子の忖度の欠落は凄まじい。
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