「心がすり減った人」に送る、今期最も攻めたドラマ 「空白を満たしなさい」

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 死後3年たって、なぜか生き返ってしまった男の物語。全国で生き返った人が続出し、復生者と呼ばれる。無戸籍、無免許、無職の復生者の存在は社会問題に発展。公的に保護されるものの腫れ物扱い。職を復生者に奪われた人の恨みも買う。糾弾する人々もいる。差別される一方、脚光を浴びる復生者もいれば、それを利用する政治家も。また、死亡保険金の返金を要求された遺族は困惑。なぜ生き返ったのか、謎は解けぬまま。そんな世界を描く「空白を満たしなさい」は今期ドラマの中で最も攻めた作品だ。

 主人公を演じるのは柄本佑。勤務する会社の屋上から落ちたのだが、なぜ死んだのか記憶も曖昧。殺されたと思い込んで犯人捜しを始める。生き返った当惑と葛藤を柄本が淡々と、でも徐々に体温が上がるグラデーションの妙で演じている。

 妻(鈴木杏)は、順風満帆だと思っていた夫が何も言わずに突然亡くなり、深い絶望の淵に。幼い息子のためにも悲嘆に暮れてはいられず、前を向いた矢先に生き返った夫が突然帰宅。悲しみ、後悔、絶望、動転、混乱、困惑。感情の振り幅は大きいものの、岩清水が沁み出るような静謐さで演じる鈴木杏。自死というセンシティブな題材を演じるのが、このふたりで心底よかった。作品愛も感じる。

 で、ある意味で主役といっても過言ではないのが、阿部サダヲ。柄本にまとわりつく謎の警備員を演じる。日本のドラマは清く正しい人ばかり描くので、このアベサダは群を抜いて薄気味悪かった。キモイという侮蔑語を原稿で使いたくないが、この役は相当キモイ。ぼさぼさで脂じみた髪に荒れた肌、毛玉まみれのじじむさいセーターに薄汚れた帽子。外見だけではない。物語の前半では柄本に「こんなところで滅んでしまいたくない。奥さんの遺伝子とぼくの遺伝子を結合させてくださいよ~」と暴言を吐いたり、杏に対してデリヘルで働くことを勧めたりする。人間と世の中に対する軽蔑、罵詈雑言。ここまで露悪的に描くのは人間の内なる欲望の権化、つまり人間ではない存在だからかと思わせた。

 ところが後半。自らの不遇な半生を語り、正しさを押し付けてくる社会に苦痛と虚しさを覚えた、と吐露。ゴッホの自画像を例に解説するアベサダの姿は、たとえようもないほど切なくて哀しかった。その狂気は、ここ数年の身勝手な殺人を犯した男たちのように、他人に向いてはいない。自分に向かっている。涙ながらに語るアベサダの本心に、柄本はやっと気付く。自分は疲弊してすり減っていた、働くことで不安から逃れようと追い込んでいた。そして自ら命を絶ったのだと。

 幸せで充実して万事が順調に見えても、心がすり減っている人がいる。職場や家庭では言葉にできない疲弊がある。「欺瞞に満ちた正しさが人間を殺す」という言葉にハッとさせられる。

 柄本の元上司である渡辺いっけいも疲労困憊(こんぱい)している。正しさに苦しむ連鎖を示唆。今、すり減っている人に、アベサダの本懐がさりげなく届くとよいのだが。

吉田潮(よしだ・うしお)
テレビ評論家、ライター、イラストレーター。1972年生まれの千葉県人。編集プロダクション勤務を経て、2001年よりフリーランスに。2010年より「週刊新潮」にて「TV ふうーん録」の連載を開始(※連載中)。主要なテレビドラマはほぼすべて視聴している。

週刊新潮 2022年8月11・18日号掲載

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