終戦後もアメリカは原爆を落とそうとしていた【公文書発掘】
「ソ満」原爆投下計画
計画書は原爆による広島の被害状況の分析から始まっている。この革命的兵器の威力を正確に把握しなければ、ソ連の主要都市を無力化するためにそれぞれ何発必要なのかわからないからだ。そして、分析の結果、原爆はそれほど威力がないという驚くべき結論が出る。それは、以下の数値が如実に表している。
爆心地からの距離(フィート) 被害を受けた建物の率
0-6000 (約1.8キロ) 100%
6000-8000 (約2.4キロ) 69%
8000-10000 (約3キロ) 56%
10000-12000(約3.7キロ) 31%
12000-14000 (約4.3キロ) 12%
14000-16000 (約4.9キロ) 3%
つまり、爆心地から半径1.8キロ以内の建物にはすべて被害を与えることができるが、半径3キロを超えると約半数しか被害を与えることができないということだ。もちろん建物といっても、木と紙でできている一般の民家と原爆ドームのように一部鉄骨、レンガ造りのものは違う。ソ連の都市をターゲットにするならば、レンガや石造りの建物をどのくらい破壊したかを調べなければならない。その結果が以下の数値だ。
爆心地からの距離(フィート) 建物数 部分的損壊 全壊
0-1000 10 1 1
1000-2000 13 1 0
2000-3000 5 0 0
3000-4000 7 0 0
4000-5000 3 0 0
5000-6000 10 1 1
これを見ると、爆心地周辺でさえ、建物10棟のうち部分的損壊が1、全壊が1でしかない。不思議なことに、およそ2キロ離れたところで部分的損壊と全壊が1ずつあるのだが、もともと構造上脆弱だったのではないかと疑われる。
ここからわかることは、原爆は屋外にいる人間に対してはともかく、建物に対してはそんなに威力がないということだ。これではソ連の都市に多かったレンガや石造りの建物の場合、爆心地周辺であってもあまり破壊できない。
この事実は無警告投下というトルーマンの決定がいかに罪深いかを物語っている。つまり、警告さえしていれば、そして一般市民に避難する時間さえ与えていれば、爆心地近くであっても、ほとんどの人々は死なずにすんだということだ。事実、別の調査は、木造であっても家屋の中なら死傷率が極めて低くなることを示している。
野心に燃えるマンハッタン計画の責任者レズリー・グローヴスとその部下は、もちろんこの結果をそのまま受け止めなかった。45年9月26日のグローヴス宛報告書で彼の部下は次のように述べている。
「都市機能を奪うためにすべてを破壊する必要はない。全壊したエリアは考えられていたよりもはるかに小さかったが、広島はもはや都市として存在していない。広島ではコンクリートビルの外観こそは無傷だったが、ガラスは割れ、内装はすっかり焼け落ちていた。建物を再建することはできるが、かなりの期間、使用不能になる。長崎の原爆はコンクリート建築物にもっと被害を与えたと報告されている」
つまり、建物を破壊することはそれほどできないが、都市機能を奪うことはできるという論理だ。そうであるなら、ソ連の都市に対しても原爆はまだ有効性をもっているということになる。
そこでグローヴスたちは、ソ連の都市についてのあらゆる情報資料をかき集め、かの国から戦争能力を奪うため、無力化する必要のある都市を66選び出した。そして、その中から15を最重要目標都市に指定した。
さらに市街地の面積を調べ、原爆が何発必要かを割り出した。1発で無力化できる範囲は爆心地から半径7000フィートと計算されていたが、重要軍事施設や工場がある場合は数発追加した。文書にある表の中から上位5都市だけ紹介しよう。
都市名 市街地面積 原爆必要数
モスクワ 110平方マイル 6
レニングラード 40平方マイル 6
タシュケント 28平方マイル 6
バクー 7平方マイル 2
ノボシビルスク 22平方マイル 6
驚くのは、これらのソ連の都市のほかに、満州の都市も21入っていたことだ。リストアップには日本の資料が使われていた。同じく上位5都市のみ挙げる。
都市名 市街地面積 原爆必要数
奉天(瀋陽) 101平方マイル 1
大連 58平方マイル 1
長春 310平方マイル 1
南京 169平方マイル 1
安東 117平方マイル 2
満州の都市がリストに入っているのは、当時ソ連に占領されていたことと、日本が建てた工業設備が残っていたことが理由だ。他に中国共産党軍がいたこともあるが、別の報告書では彼らは都市に住んでいないと指摘していた。
このほか、必要に迫られれば、キール運河(ドイツ)、ダーダネルス海峡(トルコ)、スエズ運河(エジプト)も爆撃することにしていた。
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