菅前総理が明かす安倍元総理との“最後の会話” 一番の思い出は「二十数年前にもらった電話」

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一番の思い出は…

 ただ、やっぱり一番強く記憶に残っているのは、安倍さんと初めて言葉を交わしたときのことです。

 忘れもしない01年の12月。私が自民党の総務会で、北朝鮮へのコメ支援に反対したときのことでした。安倍さんは翌日の新聞で報じられた私の発言をご覧になり、わざわざ電話をかけてこられた。当時、私はまだ2回生でしたが、そんな議員の発言まで気に留め、“菅さんは正しい”と言って下さったことに、感激したのを覚えています。

 私などは北朝鮮問題にしても当時は直線的にしか見ていなかった。つまり、北朝鮮は日本人を拉致するような国で、しかもコメを支援したところで国民にそれが行き届く可能性はほとんどない。だから支援などもってのほか、という主張です。

 一方、安倍さんは当時から長期的・大局的なものの見方をされていたように思います。北朝鮮への支援反対という結論は同じでも、“日本の国家国民の安全を守るため”という観点を忘れてはいけないとのスタンスでした。それ以来、安倍さんとは定期的にお話しするようになったのですが、安倍さんはその頃すでに確固たる国家観を持っておられましたね。

 今回の事件で、我が国が安倍さんを失った損失は計り知れない。ですが、安倍さんは日本が進むべき道筋を残してくれました。我々には、この国がその道筋から外れてしまわぬよう、安倍さんの遺志を継いでゆく責務があると思っています。

週刊新潮 2022年8月11・18日号掲載

特集「『菅前総理』独白 泣いて笑って…『人間・安倍晋三』とのかけがえのない時間」より

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