「アレフから娘を取り戻したかった」と元妻を惨殺した男 子どもたちが法廷で明かした“父親の真実”とは

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子どもとの話し合いの直前に事件を起こした

 奪還の際に家族を鎖で繋いで移動したことや、その際に子らの前でAさんに苛烈な暴力を加えたこと、家族が尿意を催しても鎖を外さなかったことについても西村は「一度逃げ出して大変だったんです!」「しょうがなかった」などと、自分の“正義”を主張し続ける。

検察官「なぜ最初に謝らないんですか?」
西村「トイレに連れていくわけにいきませんから!」
検察官「そういう平行線だから家族もあなたと会話できなかったんじゃないですか?」
西村「私にはチャンスがなかった……」
検察官「いろいろと経緯があるのはわかりますが、そこから事件まで20年以上ありますね。その中でちゃんと、子どもに与えたショックを考えて、謝ることはできたんじゃないですか?」
西村「そこは反省するところです。でもふたりは私が、福岡の教会に行った時にニコニコとして私のところにきた…ハッと思った……それで私の作った『だご汁』を持たせて食べさせた……」

 幾度問いただされても、西村は決して自分の“暴力”について詫びることはなく、家族の“良かった頃”を語り続ける。公判は独演会のような状態となり、裁判長に静止されることも一度だけではなかった。また、事件前には三女が、西村と長女らとの話し合いの機会を持たせようと、食事会を計画していたという。日取りも決まっていたが、この直前に、西村は事件を起こしている。

「母が妊娠中も手をあげていた」

 論告弁論の前に、長女と次女の記した書面が読み上げられた。

<昔から父は都合の悪いことを責任転嫁してきた。家族への、特に母への暴力がひどく、気に入らないことは全部『お前のせいだ』と、母が妊娠中にも手をあげていた。髪を掴んだり唾を吐いたり、馬乗りになったり……暴力をやめてほしいと言っても聞いてくれなかった。母は、父の仕事がうまくいかなくなったときも我慢して、きつい姑にも耐え、5人の子を『1人にしたらかわいそう』といつも一緒に過ごさせてくれた。
 母や私たちが信者であることから、父に同情的な判決が出ることを恐れている。父の暴力がなければ教団に匿ってもらう必要もなかった>(長女の記した書面)

<父と住んでいる頃の母が笑っている姿を見たことがない。暴力が酷く、一緒に逃げて、教団に保護されながら暮らすようになった。子供の頃の暴力の記憶は、父が母を跪かせて『よく見ておけ』と言いながら母を殴っていたこと……。父は事実を捻じ曲げて話す。報道により、父に同情が集まり、軽い刑になるのでは。今回のことも、父は全く悪くないと考えているかもしれません。心から反省してほしい>(次女の記した書面)

 検察官は「何度も執拗に刺した悪質な犯行。結果は取り返しがつかず重大。離婚し縁が切れていた元夫からの攻撃に必死で抵抗し、命乞いをしたが刺された、その恐怖や無念さは想像に固くない。家族連れが集まるショッピングモールでの犯行。目撃者のひとりは精神科に通うほどに犯行態様は凄惨だった」として懲役15年を求刑した。

 判決では「子供たちと教団との関係を断絶させたいとの思いは認められるが、犯行が正当化されるはずはない」として懲役13年が言い渡されている。これを不服として西村は控訴、そして上告したが、いずれも棄却され、2012年に確定している。

高橋ユキ(たかはし・ゆき)
ノンフィクションライター。福岡県出身。2006年『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』でデビュー。裁判傍聴を中心に事件記事を執筆。著書に『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』『木嶋佳苗劇場』(共著)、『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』、『逃げるが勝ち 脱走犯たちの告白』など。

デイリー新潮編集部

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