史上最年少15歳4ヵ月で“甲子園優勝投手”に…大ブームを巻き起こした「1年生投手列伝」
愛称は“バンビ”
夏の甲子園では、まだあどけなさの残る1年生の選手が大活躍し、一躍、“国民的アイドル”になることも少なくない。そして、打者よりも投手のほうが強烈な印象を残しているのも事実。過去の大会で、快進撃の立役者になった1年生エースたちを振り返ってみよう。【久保田龍雄/ライター】
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まず思い出されるのが、1977年、“バンビ”の愛称で、準優勝投手になった東邦・坂本佳一である。15歳にして強豪チームのエースになり、甲子園でも全試合に登板。決勝戦も延長10回まで力投した実績から、「中学時代もさぞかし輝かしい球歴の持ち主だったに違いない」と思う人も多いはずだ。
だが、中学時代の坂本は意外にも「投手は中3のときに1回か2回投げた程度」。ふだんは一塁や外野を守り、守備固めなどで途中出場する試合も多かった。名古屋電気(現・愛工大名電)のセレクションも不合格になった。
「名電を見返してやる!」と東邦に一般受験で入学した坂本は、高校で飛躍のチャンスを掴むため、驚くべき行動に出る。入学式の日に野球道具一式を持って職員室の阪口慶三監督を訪ね、「野球部に入れてください」と頭を下げたのだ。
チャンスは自ら取りにいく
当時、一般生徒がそこまでやる気をアピールするのは“前代未聞”だった。坂本の熱意を買った阪口監督は、主力組が乗るバスに同乗させてグラウンドに連れていくと、上級生やエリート1年生たちと一緒に練習させた。
「一般生徒は入学式後のクラブ紹介を経て5、60人が入部するのですが、僕は入学式当日にグラウンドに行けるチャンスがたまたまあって、キャッチボールをやらせていただいたことで、“その他大勢”に埋もれなかった、入学式のあとだったら、たぶんチャンスはなかったと思います」
キャッチボール中、坂本が投手転向を希望すると、阪口監督は「肩が強くて、ボールの球筋がいい」と一発で素質を見抜き、その日のうちにコンバートを決める。
その後は投球練習と並行して下半身を鍛えるため、走りに走る毎日。「甲子園の予選までは目の前のメニューを必死にこなすだけで、ほかのことを考える余裕などなかった」という坂本だが、愛知大会では7試合中6試合に投げ、3試合を完投するなど、気がついてみたら、押しも押されぬエースに成長していた。そして、甲子園で大活躍し、“バンビ旋風”を巻き起こした。
すべては入学式当日に入部を直訴したことから始まった。「チャンスは自ら取りにいく」姿勢の大切さを実感させられる。
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