神田沙也加さんの遺骨を松田聖子が持ち帰った理由 長年愛情を注いだ祖母の存在が【スクープその後】
涙を拭いながら…
遡れば2011年の紅白で、聖子と沙也加はテレビ初共演を果たし、「上を向いて歩こう」をデュエット。聖子が大トリを務めた14年にも共演し、「アナと雪の女王」で注目を浴びた沙也加が熱唱する場面では、涙を拭いながら娘を見守っていた。母と娘の歴史を語る上で象徴的な舞台ゆえ、今回も出演すればかなりの話題となっただろうが、クリスマスの25日にNHKから“聖子出場辞退”が公表されたのである。
「スポーツ紙が“聖子、紅白出場へ”と報じたことで、業界内でも賛否両論となりました。やはり紅白は歌の祭典ですから、彼女が出れば他の歌手らの注目度は下がり迷惑を受ける。そうした懸念が彼女の耳に入ったそうですし、数多(あまた)のスキャンダルを撥ね返してファンの共感を得てきた彼女も、我が子を失ったとなれば話は別で、喪に服する道を選んだのだと思いますよ」(同)
公私の別なく己の生き様をウリにしてきた聖子も、娘の死と静かに向き合う時間を欲したのかもしれない。
片や札幌で沙也加の遺骨を見送った神田は、25日に大阪の朝日放送でテレビの生番組に出演している。MCを務める「朝だ!生です旅サラダ」(テレビ朝日系)では、共演者たちがやや硬い表情であることを察したのだろう。番組冒頭で神田は、「僕は元気ですよ」と笑顔で手を振り気丈に振る舞い、90分の生放送を乗り切ってみせた。
「前回の放送直後、生放送を終えた神田さんに沙也加さんは電話をかけている。誕生日の前祝いを兼ねていたそうですが、その数時間後に彼女は変わり果てた姿となって発見された。そんなトラウマを乗り越えて神田さんは出演したわけです」(同)
芸能ジャーナリストの佐々木博之氏が振り返る。
「10年ほど前、神田さんが『旅サラダ』の出演で大阪に来ていたときのことです。沙也加さんと一緒のところに出くわしました。二人で食事に行くところでしたが、神田さんに“ウチの娘です”と紹介されたのです。私はもちろん分かっていますよと答えたんですが、神田さんは“また若い女性と大阪で遊んでいた、なんて書かれちゃ困るからね”と冗談めかして笑っていました。沙也加さんは隣でニコニコしていて、二人の仲の良さを痛感しました」
5年前、前夫とハワイで挙式した沙也加は、父親のみを招待しており、聖子は娘の結婚について一切コメントを出していない。
「密葬で喪主は二人」
かつて「一卵性親子」と呼ばれた聖子と沙也加の間に、拭い難い確執があることはこれまで再三にわたって報じられてきた。聖子は沙也加の芸能活動や交際相手の男性についてとやかく口を出し、諍いが絶えなかったという。
さる芸能関係者が言う。
「昨年10月、新曲のプロモーションでラジオ番組に出演するため聖子さんがニッポン放送を訪れた際、たまたま他の仕事で沙也加さんも局内にいたんです。親子の不仲を知る関係者たちが、バッタリ鉢合わせすることのないよう、二人の動線を変えたりするなど苦慮していました」
聖子に遺骨を持ち帰られることを沙也加は望まないのではないか。そう指摘する声もあるが、芸能関係者はこう続ける。
「葬儀は近親者のみの密葬で、喪主は正輝さんと聖子さんの二人という形で行われましたが、離婚直後に親権を得たのは聖子さんでしたからね。当初は沙也加さんが学校など日常生活でも困らないよう、戸籍を新たに作って母娘とも神田姓を名乗っていました。そうした経緯から、聖子さんが遺骨を引き取るのに正輝さんも異論を挟まなかったのでは」
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