沖縄激戦地で発掘された「存在しない名字のハンコ」 ついに遺族との接触に成功
ハンコ職人に接触
最初に訪ねたのは静内警察署。岩雄さんの住所が、この庁舎の近くだったからだ。留守家族として資料に残る妻・八重子さんの消息を得るために、「じどり」を開始する。じどりとは、聞き込み捜査をさす警察用語で、新聞記者時代に使った隠語だ。
襟裳岬へつながる国道沿いの小さな警察署。窓口担当者が、「え、77年前? この建物ができたのが昭和40年以降と聞いているからねぇ」と、地図を広げながら首を傾げた。駆け出し記者の頃、警察や行政機関は取材目的の人探しには協力してくれた。が、最近は、「個人情報の保護」が徹底されて簡単にはいかない。
仕方なく、周辺を歩きながら、「戦争当時、このあたりに住んでいた佐藤岩雄、八重子夫妻を知りませんか」と、道行く人や草刈りの作業員らに尋ねる。「さあ、聞いたことがないね」。潮の香りが漂う海辺の小さな町。二人が暮らした家の近くには、新しい公民館や野球場ができており、当時の面影を残す古い家屋は見つからない。
そこで、全日本印章業協会から紹介された地元のハンコ屋さんを訪ねた。「佐岩」と刻んだ職人が分かる可能性があるからだ。「田畑印章房」の店主・田畑隆章さん(72)は、現役の町議会議員で、父親の代から静内で店を開いている。
「うーん、お手伝いしたいのですが、私は戦後生まれ。父なら何か知っていたかもしれませんが」と唇をかむ。謎のハンコの正体と持ち主の消息は、半世紀以上もの年月の壁に阻まれ、朧気(おぼろげ)にも見えてこない。
「北鎮記念館」へ
これしきで諦められない。これまでの取材内容の中に何かヒントはないだろうか。新ひだか町に隣接する浦河町出身で、生き残って復員した同大隊の第1機関銃中隊・笹島繁勝さん(享年99)の証言を振り返る。2020年に亡くなる直前まで、確かな記憶をもとに当時を語ってくれたのだ。「佐岩」のハンコが見つかった野戦陣地の近くで、1945年6月から8月末まで、壕に立てこもって戦ったという。
その体験談の中に、「最初に旭川へ召集された後、朝鮮半島を経由して満洲へ派兵された」との証言があった。同じ大隊でも第3中隊と機関銃中隊の違いがあるが、岩雄さんも最初の召集地は旭川だったかもしれない。少しでも可能性がある限り、潰しておきたい。今は陸上自衛隊第2師団が駐屯する軍都・旭川へ。
まず訪ねたのが、「北鎮記念館」。漫画「ゴールデンカムイ」で有名になった旧陸軍第7師団や屯田兵にまつわる資料などが展示されている。
案内係に、旧日本兵が戦場で使っていたとみられるハンコについて尋ねると、「うーん、資料が残っていないので分かりかねます」と語る。近くのハンコ屋さんも訪ねてみたが、有力な情報は得られない。
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