沖縄激戦地で発掘された「存在しない名字のハンコ」 ついに遺族との接触に成功

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「鉄の暴風が吹き荒れた」と表現されるほど、日米両軍が激しく戦った77年前の沖縄。戦没者の遺骨収集を続ける元新聞記者同士の夫婦は、沖縄本土復帰から50年の今年、泥土の中から一本のハンコを見つけ出した。その持主を探し求め、たどり着いたのは北の大地――。【浜田律子/元読売新聞記者】【浜田哲二/元朝日新聞カメラマン】

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〈今年2月、初めて遺骨収集活動に加わった新聞社時代の後輩記者。彼が糸満市の陣地壕で手にしたのは、「佐岩」と刻まれたハンコだった。戦死した日本兵の遺留品と思われたが、なんと現在の日本に「佐岩」なる姓は存在しないという。謎のハンコは誰のものなのか。発見場所で戦った部隊に、「佐藤岩雄」という兵士が所属していたことを突き止めた浜田夫妻は、その遺族を探すため、兵士の故郷・北海道を目指す。〉

合致する兵士を絞り込むと…

 目標が定まると機材を抱えて、すぐに飛び出て行こうとする夫・哲二。その機先を制して、「沖縄で戦没した『サトウ・イワオ』さんは、一人なのかしら」と問いかけた。

 新聞社のカメラマン時代の名残か、夫は思いつくと猪突猛進に走り出すので、その手綱さばきが難しい。氏名が完全一致していない沖縄戦没者の遺留品。このレベルのデータで決め打ちするのは、これまでの経験上、怖い。

 そこで、関係各方面に再度、問い合わせてみた。すると、漢字の違いはあるが徳島県や山形県などに3人の該当者がいることが判明。一人ずつデータを照合し、合致する兵士を絞り込む。その結果、ハンコの発見場所と戦没場所が一致するのは、歩兵第32連隊第1大隊に所属した北海道旧静内町出身の佐藤岩雄さん、ただ一人。他の3人の戦没地は、発見場所から5キ  ロメートル以上離れている。さらに、ハンコの発掘地点は、この佐藤さんと同じ第3中隊の所属で生還した兵士が、「ここで戦った」という証言を残している陣地である。

 4人の「サトウ・イワオ」さん以外にも、「佐岩」と略せそうな氏名を戦没者データベースなどで再検索したが、見つけ出すことはできなかった。これで状況証拠は出そろったと判断しよう。北海道旧静内町は、現在の新ひだか町で、競走馬を生産する畜産や酪農などが主産業の町。岩雄さんも、馬を育てていたのかな……。

 よし、哲二。思いっきり、突っ走ってもいいよ。あんたは競走馬というよりも、イノシシのような体形だけどね。いざ行かん、北海道へ。

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