沖縄激戦地で発掘された「存在しない名字のハンコ」 調査の結果明らかになった驚きの真実とは
見つかった名前の戦没者がいない
初めて参加した活動で大手柄をあげたS君。その意味も分からず、戸惑っている。というのも、名前の書かれた遺留品は年に一つか二つしか見つからない。さらに、珍しい名字であることが極めて重要なのだ。
ハンコにはふつう、名字しか刻まれていないので、「佐藤」や「鈴木」だと該当する戦没者が多すぎて、個人を識別するのが限りなく難しくなる。下の名前も分かれば、出身地と所属した部隊などを調べて、国や都道府県が保管する名簿と照合できるが、名字だけだと関係機関の協力はほとんど得られない。ところが、希少な名字なら、沖縄戦でも一人、二人しか記録されていない例が多く、身元を特定しやすいのだ。
宿舎に帰って土を洗い落とし、朱肉をつけて押印してみる。やはり「佐岩」で間違いない。翌日、三人で平和祈念公園のデータベース検索に向かう。
が、そこで、予想外の事実が。なんと佐岩姓の戦没者がいないのだ。この名簿には、当時は日本の植民地だった朝鮮や台湾出身の戦没者も含まれているが、そこにも該当者はいない。つまり、国などの記録を信じる限り、佐岩さんは沖縄で戦死していないことになる。
さらに驚愕の情報がS君からもたらされた。ネット検索しても、個人名としての佐岩が発見できないのだ。仕方なく名字研究家に聞くと、日本国内には現在、佐岩姓が存在しないという。原爆や大災害などで全員が亡くなり、途絶えた可能性はあるというのだが……。うーん、これは困った事態になった。
「節目の時にしか現場に来ないマスコミ人には辟易する」
ここで書き手を交代。続きは、夫・哲二と共に歩み始めるまで、読売新聞記者だった律子が担当します。
今から28年前、同業他社の記者同士が結婚した場合、どちらかが退職するか、僻地へ転勤させられる不文律があった。そうした風潮から逃れられず、入社4年目にやむなく辞表を提出、専業主婦となった。
だが結婚後、哲二は朝日のカメラマンとして、紛争地や大事件の現場で華々しく活躍。夕飯を用意して帰りを待つ健気な妻を軽んじて、毎晩のように同僚らと飲み歩いていた。
「この野郎、約束が違うぞ」
忙しさにかまけて、休みをほとんど取らないので、一緒に旅行へも行けない。帰らぬ夫を待ち続ける面白くもない暮らし。そこから脱却する手はないかと思案した結果、費用は自分持ちで、興味ある取材にだけ同行することにした。これならば、自分も現場を体験できるし、夫婦旅行の気分も味わえる。よし、文句は言わせない。
「えー、会社にバレたら怒られるよ」と及び腰の哲二。
じゃ、バレなきゃいいじゃん。お金は自分で払うんだし、迷惑をかけないようにするからね。あんたが何を言っても、私は行くから。応じなきゃ離婚よ!
こうして一緒に行った先の一つが沖縄であり、出会った仕事が遺骨収集だった。そこで遺族から、「戦後50年とか復帰30年などの節目の時にしか現場に来ないマスコミ人には辟易する。君らに心があるならば、取材だけでなく足元に埋もれている戦没者を掘り出してあげなさい」と諭された。
まさに、耳が痛い指摘。こういう時こそ、社命で来ている哲二に代わって働ける好機。ほら、あんたも上司に電話して、1日だけ休みをもらいなさい。そして、一緒に手伝おうよ――。
それ以来、遺骨収集が夫婦の重要な仕事になっている。
[3/6ページ]