沖縄激戦地で発掘された「存在しない名字のハンコ」 調査の結果明らかになった驚きの真実とは

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遺骨、遺留品が見つかりやすい地形

 そこは昨年、戦没者とみられる遺骨8柱を発掘した、旧日本軍の陣地壕近く。私たち夫婦がここ数年間追い続けている、沖縄守備隊の「第24師団歩兵第32連隊第1大隊」が、最後まで戦っていた陣地の入口。ひと一人が這い蹲(つくば)って、ようやく中へ入れる場所だ。

 退職して12年。いまだに頼ってくれる後輩がいるのは率直に嬉しい。また、「職場に自由がない」という愚痴を本人から聞いていたので、成果を期待して重要な地点の掘削を頼んだ。

 それは、米軍の攻撃を受けた日本兵らが身を隠した壕内の曲がり角付近。これまでの経験上、戦没者の遺骨や遺留品が度々見つかる地形だ。乾燥時には硬いが、濡れると泥のようになるクチャと呼ばれる粘土質の土を、小型のつるはしと熊手で掘り進めてもらう。

「無茶苦茶しんどいですね」。ヘルメットにつけたライトを調整しながら、汗まみれになって働くS君。道具を使う手つきは悪くないが、雑な掘り方や残土を細かく見ない手順の不備を指摘する。というのも、77年近くも土の中に埋もれていた遺骨は脆く、わずかな衝撃で簡単に砕けてしまうからだ。

見つかったハンコ

 午前9時から午後3時まで、真っ暗な壕内でひたすら掘り続ける。ゆえに、お昼休みが数少ない憩いの時間。正午の時報に合わせ、コンビニで購入したお弁当を手にメンバー全員で壕の外へ出ようとした時だった。

「あなたの足元に見えているのは何?」

 妻・律子が、S君の掘った穴を指さす。手の小指ほどの棒状のものが地面に突き立っている。

「え、遺骨ですかね?」

 と、S君。その手元を見ていた律子の声が一変。

「それはハンコよ。珍しい名前の場合、ご遺族へ還せるからね。なんて刻んである?」

 日米合わせて20万人以上が亡くなった沖縄戦。その戦没者の名前が、本島南部に建立された平和祈念公園にある「平和の礎(いしじ)」に刻まれている。それは公園内の施設でデータベース化されており、氏名と出身地などを調べることができる。

 現場で見つけた遺留品に名前が刻まれていたら、ここで検索して、身元判明へつなげていくのだ。旧日本軍に所属していた兵士のほとんどの氏名が網羅されているという。

「ちょっと見ただけでは……」とS君。

 この道20年の律子が印面の汚れを落としながら凝視して、「さいわ……、かな?」とポツリ。そして、

「珍しい名前よ。佐賀県の『佐』と岩手県の『岩』。今まで出会ったことのない名字だわ。これは絶対に少ないから、見つかる確率が高いよ」と、目を輝かす。

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