御巣鷹山「日航機事故」から37年 なぜフジテレビは生存者4人の救出劇を独占生中継できたのか

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社内が柔軟性とイケイケ精神に満ちていた

 このエピソードには全盛期のフジの精神が凝縮されている。やわらか頭で姿勢はイケイケだった。

 報道局ばかりではない。「森田一義アワー 笑っていいとも!」(1982年~2014年)など先鋭的な番組をつくっていたバラエティ部門もフレキシブルでポジティブ。斉藤由貴(55)主演の「スケバン刑事」(1985年)など遊び心に富んだ作品を制作していたドラマ部門もそうだった。

 当時の他局は官僚的だったり、セクショナリズムが強かったり。フジとは違った。TBSは視聴率でフジに負けたことが悔しくて仕方なかったらしく、「ウチは『視聴質(視聴者の質)』はいい」などと言い出した。

 同8月13日午後1時過ぎ、生存者4人は陸上自衛隊空挺団のV-107輸送ヘリによって救助された。1人ずつ空挺団員に抱えられ、ヘリに収容された。この劇的な様子もフジだけが生中継した。他局は惨敗だった。

 当時の日本テレビの編成部幹部で後に経営陣の1人になった同局OBは、フジの生存者救出の生中継を観て、「当面は何をやってもフジには勝てないかも知れないな」と青ざめたという。

 フジはこの3年前の1982年から視聴率年間3冠王だったが、それでも日テレは1970年代まで下位局だったフジを舐めていた。

「すぐに巻き返せると考えていた」(元日テレ経営陣)。

 けれど生存者救出の生中継を目の当たりにしてフジへの見方が一変した。テレビマンだから、険しい山間からの生中継がいかに難しいかがよく分かっていた。フジの積極性と力強さに圧倒された。

「とんでもない体質の会社なんだと初めて分かった」(同・元日テレ経営陣)

 元日テレ経営陣の予感は的中し、フジの3冠王は1993年まで続く。その後も2010年まで年間視聴率は3冠王か2位だった。

 日テレがフジの生中継に打ちのめされた同8月13日午後、同局内で珍しい事が起きた。報道局が編成部に対し、「報道特番を打ち切って欲しい」と申し入れたのだ。
「報道局は大事件や大事故があると、『特番の放送枠をもっと伸ばしてくれ』と言うのが常なんですが、あの日はどうしたってフジに勝てないので、戦意を喪失した」(元日テレ経営陣)

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