夏の甲子園でスポーツ紙が前代未聞の見出し 雨に泣かされた悲運のチーム列伝

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8点リードも降雨ノーゲーム

 今年の「夏の甲子園」では、降雨ノーゲームの場合に「継続試合」として中断時から、試合が再開されることになった。しかし、過去にはリードしていた試合をノーゲームでリセットされ、再試合で敗れた“悲運のチーム”もあった。物議を醸した試合は、どんな試合だったのか、改めて振り返ってみよう。【久保田龍雄/ライター】

 大量8点もリードしながら、無情の降雨ノーゲームで、甲子園初勝利が幻と消えたのが、2003年の駒大苫小牧である。

 1回戦の倉敷工戦、駒大苫小牧は打者13人の猛攻で一挙7点を先制。3回にも敵失に乗じて8対0と大きくリードした。だが、4回にも2死一、三塁と追加点のチャンスを迎えたところで、雨脚が激しくなり、無念のノーゲームに……。

 この日は台風10号が接近中のため、4試合行う予定を2試合に変更したが、台風が予想を上回る速さで接近したことから、2試合目の駒大苫小牧が割りを食う羽目になった。

「今日はいい練習になったと考えます」(土島直也主将)と気持ちを切り替えた駒大苫小牧ナインだったが、翌日の再試合では、倉敷工が前日のワンサイドゲームを反省材料に相手を徹底的に研究し、作戦を練り直したことで、流れが変わる。

「すべて自分の責任」

 倉敷工打線は白石守の高めの速球を捨て、カウントを取りに来る低めのボールを狙い打ちし、3点を先行。前日、滅多打ちされたエース・陶山大介も、打者の打ち気をそらす投球に徹し、狙い球を絞らせない。

 3回にタイムリーなどで2点を返した駒大苫小牧だったが、中盤以降も攻守にちぐはぐで主導権を握ることができず、2対5で無念の敗戦。

 中止になったあとの1日の過ごし方が明暗を分ける皮肉な結果に、香田誉士史監督は「すべて自分の責任。選手の力を引き出さなかった」とうなだれた。
 
 だが、災い転じて福となす。この悔しさをバネに出直しを誓った下級生たちは、翌年、北海道勢で初の全国制覇を成し遂げ、05年も連覇。そして06年は3年連続決勝進出を果たし、高校野球界で一時代を築くことになる。

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