統一教会は信者獲得のためではなかった……宗教団体がわざわざ政治に接近する理由

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広告塔の役割

小川:「芸能人や政治家が宗教団体の広告塔になる」という言葉をよく聞きます。広告塔というと、教団が新たな信者を勧誘する際のサポート役のようなイメージでしょう。しかし、今の広告塔は内向きで、すでに入会した信者に疑問を持たせないために必要なのです。例えば、母親が宗教団体に大金をつぎ込んでいるのを知った息子が止めようとしたときに、機関誌を見せて「安倍さんが来ているような団体がおかしいわけないじゃない」という使われ方がされます。もちろん2世3世の信者を逃がさないためでもある。統一教会に限りませんが、そのために、集会に来て下さい、祝電を打ってくださいと政治家と親しくなりたいと考えるのです。選挙活動を手伝ってもらっている政治家にすれば、断りにくいですからね。

――新たな信者獲得のためではなかったのか。

小川:いまどき、休日に家でゴロゴロしているときに、突然「こんにちは、統一教会です」と尋ねてこられて入信する人などいません。むしろ、飛び込みの勧誘は、度胸を付けるためと言われています。追い返されて泣きながら教会に帰ると、むしろ褒められ、益々離れられなくなるといいます。その際にも「国会議員の先生も応援してくれる団体なのだから、君の勧誘を断る方がサタンなんだ」という使われ方もするわけです。

――これで宗教法人とは……。

創価学会の場合

小川:ですから今となっては、統一教会は、宗教の教義をもって世の中を良くするとか、人間の完成を目指すといったことではなく、ただお金を信者から巻き上げるために活動している集団との認識が妥当なのではないかと思います。そのために、政治家が必要だったのです。政治家との縁が切れないように選挙を手伝っているとしか思えません。

――ならば、現在は自民党とともに与党を構成している公明党と、その支持母体、創価学会はどうなのだろう。

小川:最初に申し上げた、広宣流布・国立戒壇のような目標は現在はありません。実際、創価学会も高齢化が進み、会員も減っていますから、そこまでのパワーもありません。

――公明党の宗教政党としての存在価値とは?

小川:現在は道路が綺麗になったとか、ゴミの集積所が増えたとか、全部の学校にクーラーがついたとか、給付金とかで生活が向上しているというのが、会員の会合などでアピールされています。

――かつてのパワーはなくなったものの、それでも学会員たちによる選挙活動は今も機能している。

小川:彼らにとって選挙はお祭りでしょう。地方選挙も含めれば、年に1回くらいは選挙があります。その際に会員を集め、候補者のポスターを貼り、電話をかけまくって支持を集める。全体の票数が減ったとはいえ、学会の票割りは見事なものですから、候補者は当選します。会員も応援した候補者が当選すれば嬉しいわけです。当選した議員も、学会員に「みなさんのおかげで」と感謝もするわけですから。彼らにとって、選挙は宗教行事の一環のようなものでしょう。

――創価学会員が「選挙をやれば功徳になる」とテレビのインタビューに答えたのは有名な話だ。

小川:だから自民党も公明党を頼りにしているのです。

デイリー新潮編集部

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