いまだに妻の本音がわからない…彼女の友人と浮気で、さらに悩みが深くなった50歳男性の告白

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 厚生労働省の人口動態統計によると、2020年に離婚した夫婦は19万3253組。ここ数年をみても、1年間におよそ20万組が離婚している。では、別れてはいないが夫婦関係は崩壊しつつある「離婚予備軍」はどれほどいるのだろうか。

 今回ご紹介する男性は「離婚しない」と言い張るものの、意地と責任感でなんとか持ちこたえようとしている印象もうける。20年以上にわたって男女問題を取材し、『不倫の恋で苦しむ男たち』(新潮文庫)などの著書があるライターの亀山早苗氏が取材した。

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 人前でケンカばかりしているのに実態は仲のいい夫妻だったり、仲がよさそうに見えるけれど実態は冷え切っていたり。夫婦の関係は他からはうかがい知れないものがある。「結婚とは何か」も人によって違うのだろう。

「結婚は契約。僕は契約破棄はしないつもりで結婚しました。だからうちも危うい関係ではありますが、離婚はしません」

 そうきっぱりと言うのは、横川清士さん(50歳・仮名=以下同)だ。結婚して20年、ひとり娘は14歳になった。

「大学時代からつきあっていた彼女と26歳のときに別れたんです。彼女が勤務先から留学を打診され、僕は行かないでほしい、結婚しようと言った。でも『結婚より自分の人生を優先させたい』と拒絶されて……。悲しかったですね。5年もつきあってきたのに、あっさりと切られたことで、彼女を恨みもしました。次に出会った女性と結婚する。そう決めて、周りに合いそうな人を紹介してほしいと頼んでいたんです」

 29歳のとき、職場の上司から、「いい子がいる」と紹介されて会ったのが、2歳年下の由紀乃さんだった。笑顔のかわいい人だと好感をもった。初回デートは上司がうまく場を仕切って、いい雰囲気を作ってくれた。

「今思えばですが、僕が育った家はかなり古風でした。父親が威張っていて、母は父にかしずいていた。朝、父が新聞を開くまでは家族は読んではいけない、父はいつもおかずが一品多い、父の帰宅時は玄関まで迎えに行く。ただ、父は暴力をふるったりはしなかったし、口うるさくもなかった。けれど子どものころ、僕が友だちの約束を破ったことがあるんです。一緒に遊ぼうと言っていたのに、家に帰ってアニメを見始めたらうっかり忘れてしまった。友だちには謝ってすんだんですが、後日、道でたまたま父に会った友だちがそのことを話したらしくて。帰宅するなり、僕は父の部屋に呼ばれました。正座して、ことの真偽を問われ、『でも僕、謝ったし』と言ったら父はカッと目を見開いて、『どんな理由があっても、友だちを裏切ってはいけない』と静かに言いました。『裏切ることは絶対悪』だと刷り込まれた瞬間だったかもしれません。物静かで威厳に満ちた父でしたね」

 そんな父は、彼が就職して半年後、突然の病で亡くなった。通勤のため車を運転している最中に脳卒中を起こし、そのまま帰らぬ人となった。それでも人をケガさせなかったのは、父がとっさにハンドルを切ったからのようで、「父らしいとみんなで話しました」という。

 父の古風さを、清士さんは自分の中に抱えていると自覚していた。

「だから由紀乃と2度目にふたりきりで会ったとき、『僕はバカなので、おだてられるとがんばるし、できないこともできる気持ちになります。あなたは僕をおだててくれますか?』と聞いたんです。そうしたら彼女はクスッと笑って、『母は父を手のひらで転がしています』と。こういう女性なら大丈夫かなと思いました。何度か会ってから、彼女の家に呼ばれて行ったら、確かにお母さんが些細なことでも、『お父さんに決めてもらいましょ』と言う。『夕飯、食べて行ってね。ねえ、お父さん、夜はしゃぶしゃぶにする? すき焼きにする? お父さんが決めてよ』って。お父さんはもったいぶって頷きながら、『清士くんはどっちがいいかな』と。由紀乃の顔を見ながら、『そこはお父さんが決めてください』と言ったら、みんな満足そうでした。僕が育った家庭とたいして変わらないな、由紀乃の家のほうがカジュアルだなと思いました。この両親なら、僕もうまくやっていけそうだと思った」

 トントン拍子に話が進み、つきあって3ヶ月で婚約、その半年後には結婚式を挙げた。子どもができることを考えて、妻の実家近くに新居を構えた。

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