山上容疑者の犯行は「過去のテロ」とどこが違うのか 古谷経衡が語る「決めつけ」の危険性

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決めつけるのは危険

 いずれにせよ、非常に大きな課題を突きつけられたと思います。社会的孤立や孤独が生んだ事件、という側面も、たしかにあるとは思います。しかし、それだけなら銃まで造られていないでしょう。また、容疑者の頭がいかれていたとしたら、銃を造るという発想に至らないでしょうから、それもまた違います。

 統一教会への恨みが、今回の事件の原因にはなっています。そして、「統一教会が悪い」ということで、事件のすべてが説明できると思っている人も多いようですが、そんな単純な話ではありません。母親や兄弟に及んだ影響が明らかになってはいますが、ほかの団体に対してでも起こりうる事件です。

 さらには、どの犯罪類型にも当てはまらず、「こういう背景だから山上容疑者はこうだ」とは、言い切れないのではないでしょうか。

 1994年に細川護熈元首相が銃撃されたのは、元右翼の男による威嚇でしたし、2007年に、当時の伊藤一長長崎市長が射殺されたのは、暴力団員による犯行でした。しかし、安倍元首相が銃撃されたのは、こういう事件とは違います。先ほど述べた「無敵の人」の一種だと決めつけるのも危険な気がします。

 わからないことはわからないと言わないと、かえって変な臆測を呼びます。むしろいまは、まだ「わからない」としておいていいと思っています。

週刊新潮 2022年7月28日号掲載

特集「『安倍元総理暗殺』激震収まらず 」より

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